【ネタバレ感想】『ジュラシック・パーク』は、恐竜映画の中でも傑作的な作品だった

ふぉぐです。

ついさっき『ジュラシック・パーク』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『ジュラシック・パーク』ってどんな映画?あらすじは?

『ジュラシック・パーク』は、1993年公開のSFパニック映画。

監督はスティーヴン・スピルバーグ。主演はサム・ニール、ローラ・ダーン。

あらすじとしては、「DNA操作で現代に蘇った恐竜たちのパークで、人間が襲われる」という物語になっている。

古生物学者のアラン・グラント博士(サム・ニール)は、古植物学者のエリー・サトラー博士(ローラ・ダーン)とともに新種の恐竜の化石を発掘している最中だった。

そこへ、博士たちの研究費を支援している「ジョン・ハモンド」という老人がヘリでやってきた。

ハモンドは、孤島で新たなアトラクションパークを建設していることを打ち明け、その視察と専門家の意見を聞くために、グラント博士たちの元を訪ねたのだった。専門家による権威がないと、出資者たちが出資をしてくれないためである。

初めは「新種の恐竜の化石を発掘しているところなんです」と断ろうとしていたグランド博士だったが、

「3年分の研究費をだそうじゃないか」

というハモンドの言葉に負け、グラント博士とサトラー博士は、ともにジョン・ハモンドが建設したパークへといくことになるのだった。

そのパークは、「ジュラシック・パーク」という名前で、DNAの組み替え技術やクローン技術を用いて現代に復活した恐竜たちを間近で見れる…という、グラント博士にとってみれば夢のようなパークだった。

しかし、パークの視察へと呼ばれた権威者であり数学者のイアン・マルコム博士は、ジュラシックパークおよび恐竜たちの存在について警鐘を鳴らすのだった。

そして、ジュラシックパークのシステム面を担当していたある男の陰謀で、パーク内のセキュリティが解け、ティラノサウルスが人間たちを襲うのだった。

『ジュラシック・パーク』は、恐竜映画の中でも傑作的な作品だった

というわけで『ジュラシック・パーク』を観終わった。

まず最初の感想としては、

「ジュラシック・パークってやっぱり面白いな〜!」

ということである。

なんだろう、子どもの夢をそのまま実現している…というか。

私は幼い頃、恐竜博士になりたい!と思っていたぐらいに恐竜にのめり込んでいた。

図書館に行っては恐竜の本を借りてきていたし、その本に登場する恐竜たちの名前を全部覚えちゃうぐらいにのめり込んでいた。

めちゃくちゃ恐竜にのめり込んでいたあの頃に、もしジュラシック・パークを見ていたら…それこそ興奮冷めやらない夜になっていただろう。

私が初めてジュラシック・パークを見たのは、すでに恐竜熱から冷めた小学生高学年ぐらいの頃である。

恐竜にすでに冷めてはいたけれど、それでもなお、

「恐竜ってかっこいいしおっかねえ〜!」

という感想を持った覚えがある。

恐竜映画って、私は実際ジュラシックパーク/ワールドシリーズか、ジュラシックリボーンとかいうB級映画しか見たことないんだけれど、その中でも群を抜いて面白いなぁ…と思った。

ジュラシック・パークが、タイタニックが現れるまで興行収入1位を記録したことを踏まえれば、みんな恐竜好きなんだなぁ…と思った。そんな恐竜たちより、船の上で繰り広げられるラブロマンスはもっと好きなんだなぁ…なんて思った。

ぶっちゃけ、『ジュラシック・パーク』は前半長い。だがそれがいい。

『ジュラシック・パーク』は、正直な話…前半長い。

ティラノサウルスが現れるまでに、おそらく40分ぐらいかかる。

ちょっとダレ気味になるんだけれど、それもまた『ジュラシック・パーク』の面白いところだと思う。

溜めに溜めて…やっとのところでティラノサウルス登場!みたいな。

ティラノサウルスが出てくるシーンも、実際は人間のエゴ的な側面があってのところである。

エゴを語るためには、準備が必要である。

ジョン・ハモンドの理念。ジュラシック・パークの存在意義。ジュラシック・パークへの警鐘。

それらがあって初めて、

「恐竜たちを現代に蘇らせるのは人間のエゴである」

という哲学的要素が花ひらく。

『ジュラシック・パーク』は、単なるパニック映画ではなく、

「現代技術への警鐘」

というアンチテーゼが盛り込まれている。

それらをきちんとわかりやすく発揮させるためにも、あのちょいとダレる前段階が必要になるのである…。

恐竜たちもリアリティに溢れている

『ジュラシック・パーク』は1993年の映画なんだけれど、恐竜たちのリアリティがすごい。

そりゃ、「ジュラシックワールド」とか「ジュラシックワールド/炎の王国」に比べるとCG技術としては見劣りしてしまうけれど、1993年の時点でここまでのリアルさがあったのか…と思うと阿鼻叫喚である。

特に「うわ〜すごい」と思ったのが、ジュラシックパークにジープで入った時に最初に目撃したブラキオサウルスが、後ろ足で立って木の葉っぱを食っているシーンである。

雄大な自然の中で二足歩行をしている首長竜のリアルさ。そしてそのスケール。

チープなものにさせず、「本当にそこにいる」と思わせるようなリアルさはあっぱれである。

仕方ないことだけど、ちょっと御都合主義かな

これは「映画」という構造上仕方のないことなんだけれど、ストーリーとしてはちょっと御都合主義すぎるかな…という感じ。

スピルバーグ監督特有の、あのハラハラするシーンの連続は面白いんだけど、ところどころに「そんなんあり?」と思わせるシーンがある。

特に私が御都合主義だなぁと感じたのが、最終シーンでヴェロキラプトルに襲われている一向のもとに、ティラノサウルスがやってきてラプトルの片方を食っちゃうシーンである。

なぜティラノサウルスがハモンド邸にやってきたのかも疑問だし、あんな都合よく人間を助けるようにラプトルを食うかな…とも思った。

まぁ、映画を丸く収めるための御都合主義は仕方のないところである。

『ジュラシック・パーク』を総合評価するなら?

『ジュラシック・パーク』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

まさに恐竜映画の傑作である。

ジュラシックパークのあのテーマも、『ジュラシック・パーク』という映画にぴったりな雄大さを感じる。

全体としてクオリティが高く、後世まで語り継がれる映画なんだろうなぁ…と感じた。

『ジュラシック・パーク』はどんな人にオススメ?

『ジュラシック・パーク』は、恐竜好きの人にはマジでオススメしておきたい。

とにかく何も言わずに見て欲しい。それぐらいの傑作映画である。

終わりに

『ジュラシック・パーク』についてレビューしてきた。

私はぶっちゃけ、ジュラシック・ワールドみたいな、ああいう本物のテーマパークのような世界観が好きである。

だから、『ジュラシック・パーク』のような、開発段階にあるパークが舞台の映画は、人がいなさすぎてさみしい感じがしちゃうのである。

だとしても、『ジュラシック・パーク』は傑作映画であることに変わりはないし、めちゃくちゃ楽しめる作品だなぁ…と改めて感じた。

たまに童心に帰るのも乙なものである。