【ネタバレ感想】『ノウイング』は、後半になるにつれて面白さが減速していく映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『ノウイング』を観終わったので、早速レビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、早速レビューに移ろう。

『ノウイング』ってどんな映画?あらすじは?

『ノウイング』は2009年公開のSF映画。

監督はアレックス・プロヤス。主演はニコラス・ケイジ。

あらすじとしては、「50年前にある少女が、今後50年間に起こる事件事故を予知し、それがどんどん当たる」という物語になっている。

1959年。マサチューセッツ州にある、ある小学校ではイベントが行われていた。

それは、タイムカプセルを埋めて、50年後にもう一度掘り返そう…というものだった。

タイムカプセルには、子どもたちが50年後の未来を想像して絵を描き、その絵を埋める予定だった。

しかし、ルシンダという女の子だけは、なぜか絵ではなく大量の数字を紙いっぱいに書いていたのだ。

絵を描くリミットが迫り、先生はルシンダに「もう集めるわよ」と言うが、一向に応じる気配がない。

先生は無理やり紙を取り上げ、タイムカプセルに入れたのだった。

タイムカプセルが埋められた日の夜。ルシンダはなぜか行方不明になっていた。親や学校関係者が総出で探すと、ルシンダは学校の地下室にいた。地下室で、手を血塗れにしながら壁に何かを書いていたのだった…。

時を遡り50年後。2009年。

今日は小学校でイベントが行われる日。MITで教授を勤めているジョン・ケストラーは、息子の通う小学校へ行事を観に行くのだった。

予定通りタイムカプセルは掘り起こされ、先生が次々に子どもたちに絵を渡していく。

ジョンの息子であるケイレブが受け取った紙は、絵ではなく大量の数字が書かれたものだった。

なんなのか意味がわからないケイレブだったが、「きっとこれは何かの暗号なんだ」と察し、黙って学校からその紙を持ってきてしまう。

夜。ジョンはケイレブのカバンから数字の紙を発見する。

「こんなの、持ってきちゃダメじゃないか。明日学校に持って行って返してきなさい」

と諭す。

深夜、ジョンはなぜかその紙に書かれてある数字が気になって、色々と解読していくうちに、その紙に書かれている数字が、

「これまで起こった事件・事故の発生年月日&死亡者数を表している」

ということがわかった。

そのことを大学教授仲間に伝えにいくが、「単なる偶然だ。数字の羅列を意味があるように受け取ってしまってるだけ」と一蹴されてしまう。

そう、確かに事件・事故の発生年月日&死亡者数は割り出せているものの、それらの数字とは別の意味を持つであろう数字がどんな意味を持っているのかがわかっていなかったからだ。

ジョンは、とりあえず直近で起こると思われる事件・事故現場へ向かうと、そこでは思いがけない出来事が待っていた。

『ノウイング』は、後半になるにつれて面白さが減速していく映画だった

『ノウイング』についてまず言いたいことは、設定はよくできていると言うこと。

50年前に埋めたタイムカプセルを掘り起こしたら、そこに事件・事故を予知する暗号が書かれていて…という設定は見事である。面白さが爆発しそうだ。

しかし、後半になるにつれてどんどん面白さが減速していく感が否めない。

なんだろ、ルシンダの娘であるダイアナに接触を図っているあたりから、徐々に物語の面白さが減速してしまっていた。

特にがっかりだったのがオチである。

なんとなく、ルシンダの家に調査に行ったあたりで「アヤシイ人物」と接触した時に薄々思ってはいたんだけど、最終的にあの怪しい人たちが宇宙人だったわけだ。

宇宙人が「地球が滅亡するから、選んだやつだけ別の惑星に移そうぜ」ってことでケイレブとアビーを連れて宇宙の彼方にある星へ連れて行って、最終的には彼らが「アダムとイヴ」的な感じになって幕が降りるわけだが。

この、まさにSFチックな終わり方。

SFの中でもやっつけ感のある終わり方にどうにも疑問が残る。

最終的にジョンはルシンダの家に行って何がやりたかったのかも不明だ。

太陽フレアによる地球壊滅は結局止められずに人々は死んでいってしまうのも…釈然としない。

物語が後半になるに連れて面白さが減退し、「なんかつまんなくなってきたな…」と思ってしまっていた。

ダイアナにイライラする

『ノウイング』でイライラしたのは、ダイアナである。

もうほんと…なんかこう…すごくイライラした。

というのも、ジョンの言うことに対して柔軟に対応できないで自我を押し通すばかりなのがイライラする。

MITに勤めてる頭の良いジョンの言うことはなんでも正しい!…って言うわけではないのは承知だけれど、ルシンダの数字を解読したのはジョンである。

と言うことは、ジョンなら解決策を導き出せるかもしれない…と言ってる矢先にダイアナは自分の都合で子どもを連れて行ってしまう。

そして、子どもを連れてガソリンスタンドに入るのは良いものの、そこでもジョンの言うことを聞かずに言い合いをして、子どもを放っておいたら宇宙人に車ごと持っていかれてしまう。

挙げ句の果てには、自分の子どもたちが連れていかれてしまうというのを理由に、承諾を得ずに他人の車を乗り回し、信号無視してトレーラーと事故って死亡…。

どこまで行ってもイライラが募る。

バカほど、他人の意見を感情でしか聞けないのだな…という良い例である。

宇宙人出てきたらなんでもありじゃね?

ぶっちゃけ、「宇宙人」という存在が出てきたら、もうなんでもありじゃね?って思う。

いや、それこそ「Earth to Echo」みたいな設定で宇宙人が出てくるなら良いけど、あんなサスペンスチックな内容なのにオチが宇宙人って…。

もしあれが、例えば国家機密情報局的な組織が追ってきてるのだとしたら面白かったのに…。

宇宙人というだけでがっかりである。人類の科学力を大幅に超えるような科学力を持っているのだから…。

宇宙人が出てきたらなんでもあり。

『ノウイング』を総合評価するなら?

『ノウイング』を総合評価するなら、星5中の星2評価である。

設定はよかったし、演出も良かった。途中でCG丸出しなのがうーんって感じだったけど、それぐらいはなんともない。そういうこともあるだろう。

しかし、やはり後半になってどんどんストーリーがつまらなくなっていくこと、オチが納得いかないこと…などを踏まえると、星2評価が妥当かな…って感じになってしまう。

「終わり良ければすべて良し」っていう言葉があるけれど、どんなに前半がつまらない映画だったとしても、後半で盛り返してオチで面白くなれば、それは名作と言われることがある。

個人的には「インセプション」なんかがその例だと思っている。インセプションは前半がつまらないわけじゃないけど、ぶっちゃけちょっとダレる。

『ノウイング』はどんな人にオススメ?

『ノウイング』はSF好きな人にはオススメかなという感じだ。

ちょっとサスペンスチックなところもあるからサスペンス好きにも…と言いたいところだが、サスペンス好きが見るとがっかりするかもしれないのであえてオススメはしない。

SF好きなら、「本当にこんなことが起こるかも…!」と、若干ワクワクしながら見れるかもしれない。

終わりに

『ノウイング』についてレビューしてきた。

余談だが、『ノウイング』の前半の方で、ジョンが学生たちに向けて講義をしていた時、こんなことを言っていた。

「決定論とは別に、ランダム論というものがある。この世は偶然できたもので、存在していることは単なるランダムによるもの。だから意味なんてない」

的な。

私はまさにこの考え方を持っていた。

よく、人々は「生きる意味」を模索するけれど、「生きる意味なんてなくね?」というのが私の考えである。

だからと言って自殺すれば良いとか、そういうことを言っているのではない。

生きることに意味なんてないんだから、楽しく生きてこーぜ…的な。

無理やり意味を持とうとしてしまうと、ゴールのない迷路を永久にさまようことになってしまう。ゴールのない迷宮を彷徨うのは哲学者だけで十分である。

人生は、もっとシンプルに生きていくのが良いのではないだろうか…生きることに意味なんてないのだから…。

と考えてしまうこと自体が、ある意味哲学的なことなのかもしれない。