【ネタバレ感想】『シンドラーのリスト』は長尺にも関わらずサクッと観れる名作映画だった【赤い服の女の子についても解説】

ふぉぐです。

ついさっき、『シンドラーのリスト』を観終わったので、早速レビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、早速レビューに移ろう。

『シンドラーのリスト』ってどんな映画?あらすじは?

『シンドラーのリスト』は、1993年(日本では1994年)公開の戦争・ヒューマンドラマ映画。

監督はスティーヴン・スピルバーグ。主演はリーアム・ニーソン。

あらすじとしては、「ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーが、強制収容所に送られるはずのユダヤ人を工場で働かせるという名目で1000人以上を救い出す」というストーリーになっている。

オスカー・シンドラーは、軍に友達を持つやり手の実業家だった。

シンドラーは、知らない軍人でも陽気に接し、初対面だろうがなんだろうが気さくに、そしてお酒を奢るなどをしてたくさんの友人を得ていた。どれもこれも、実際に映画でそのようなことをぼやくシーンはないが、「実業家」という仕事をしている以上、横のつながりを大事にすることで仕事にも良い影響を与えるということを知っていたからこそだろう。最終的にはこの横のつながりが、シンドラーを「ユダヤ人を救い出す」という助けに繋がる。

1939年九月、ドイツ軍はポーランドへ侵攻し占領。ポーランドのクラクフに住むユダヤ人をクラクフ・ゲットー(隔離場所のようなもの)へ送り込む。

ドイツ人実業家のシンドラーは、クラクフへとやってきた。シンドラーは実業家らしく、

「戦争を金儲けの手段として利用しよう」

という目的で、潰れた工場を買い取って、そこで鍋のような容器工場を始めたのだった。

また、シンドラーは自分で工場を経営することはせず、ユダヤ人会計士のイザック・シュターンに工場の経営を任せることにする。イザックは有能で、また社交性もあったため、ドイツから迫害を受けているユダヤ人たちを安価な労働力として雇い入れ、またナチス親衛隊(SS)の将校に取り入って、事業をどんどん拡大していった。

やがて、クラクフ・ゲットーに隔離されていたユダヤ人たちは「クラクフ・プワシュフ強制収容所」へと送られることになる。

もちろん、シンドラーの工場の働き手だったユダヤ人たちも強制的に送られることになるため、シンドラーはすぐにクラクフ強制収容所に出向く。

クラクフ強制収容所には、ナチス親衛隊だった「アーモン・ゲート少尉」が所長として就任していた。

ゲートはとても冷酷でサディストの一面を持ち、建築の専門家だったユダヤ人女性に「この建物は基礎がちゃんとできていないので、いずれ倒れてしまいます。基礎から建て直した方がよろしいかと」という助言をもらったにも関わらず、特に理由もなくその女性を殺してしまうほどに残忍だった。

また、強制収容所の所長宅であるバルコニー(ベランダ)から、狙撃銃でユダヤ人を撃ち殺すなど、かなり残忍な性格だった。

工場の経営にユダヤ人が必要不可欠だったシンドラーは、ゲートに直談判し、強制収容所の敷地内(ちょっとこの辺は記憶が薄れていて申し訳ない。もしかしたら収容所の外側だったかも)に新たな工場を建設することにした。

はじめこそ、自分の利益だけを追従していたシンドラーだが、ある日工場に1人の女性が現れる。

その女性は、「シンドラーさんは、ユダヤ人たちの間ではとても優しいと評判になっています。ぜひ私の両親もシンドラーさんの工場で働かせてはもらえないでしょうか…」と、シンドラーに直談判しにきたのだ。

シンドラーはその女性を快く部屋に招き入れるも、まさかそんな交渉だとは思わなかったので、

「今すぐ部屋を出てくれ!!」

と激昂する。いきなりのことに驚いた女性はすぐシンドラーの部屋を後にする。

シンドラーは会計士のイザックに、「お前がまともに働けない牧師などを雇ったりするから、俺がそんな評判になるんだ。もしこれで当局に目をつけられたらどうする!?」と憤慨。

だが、シンドラーはその女性の両親を工場に招き入れる。

シンドラーは、工場の利益だけの追従から、ユダヤ人たちの解放へと、どんどん変わっていくのだった。

『シンドラーのリスト』は長尺にも関わらずサクッと観れる名作映画だった

『シンドラーのリスト』を観ていてまず思ったのが、

「長尺なのにめっちゃさくっと見れるなぁ〜!」

ということだ。

『シンドラーのリスト』は、上映時間が3時間ちょいある。

なので、

「途中でダレないか心配だな〜…」

と思っていたのだけれど、個人的には全然ダレることなく、むしろ「面白いじゃん!」とどんどん続きを観たくなってしまっていた。

おそらくこれは、私が「戦争物が好きである」という趣味によるものもあるが、スティーヴン・スピルバーグ監督の類稀なる才能によるところが大きいのだと思う。

また、出てくる登場人物たちも個性が豊かで、シンドラーと会計士のイザックが、最後に握手するシーンなどは観ていてウルっと来てしまった。

それまで、シンドラーにあまり心を開いていないように見えたイザックが、最後の最後でシンドラーと握手を交わしたからである。

全体的に陰鬱で、ナチスドイツによる凄惨なシーンが数多く存在するが、そうだとしてもこの映画には人を惹きつける魅力があるように思う。

「もっと金があれば…」という、シンドラーの言葉の真理

『シンドラーのリスト』を観ていて私が象徴的だなぁと思ったのが、シンドラーがユダヤ人たちと別れるシーンでの言葉である。

「もっと金があれば、ユダヤ人たちを救ってやれたのに…」

この言葉にあるのは、シンドラーの実業家としての精神だと思われる。

シンドラーは最初、ユダヤ人を単なる労働力としてしか見ていなかった。

その証拠に、映画冒頭で工場を作るときに、「ユダヤ人が働いた分のお金は政府が持っていく」というイザックの言葉を受けて、

「ユダヤ人を使えば安く済む。ユダヤ人を使おう」

と言っている。

シンドラーにとって、ユダヤ人たちは安価にお金を産み落とす存在だったわけだ。

さらに言えば、シンドラーは知っていたのである。

「金こそが人間を支配できる」

ということを。

だからこそ、「もっと金があればユダヤ人を救ってやれた」という言葉が出てくる。

金稼ぎは悪いことではないし、シンドラーはとても頭が良い人物だと思う。

しかし、自分の頭の良さを金稼ぎにしか使ってこなかったことを恥じて、「もっと救ってやれたのに」と後悔している…と私は解釈した。

『シンドラーのリスト』における、「赤」とは【赤い服の女の子の意味】

『シンドラーのリスト』はほぼ全編モノクロ映像だが、途中で色が入ることがある。

それが、「赤」である。

象徴的だったのは、ドイツ軍が街でユダヤ人たちを殺しまわっているところに出てくる、赤い服を着た女の子である。

周りでは、ユダヤ人たちをドイツ軍が殺しまくっているのに、なぜかあの赤い服を着た女の子だけは殺されないし連行もされない。

シンドラーは丘の上から馬に乗ってそのシーンを見ているわけだが、あの赤い服の女の子の意味を個人的に考えてみた。

ちなみに、Wikipediaにはこんな感じで解説されている。

赤い服の女の子のシーンだが、このシーンでシンドラーは「何故あんな目立つ格好をしているのか?ドイツ兵も何故すぐに捕らえないのか?」という疑問を抱いているが、この時点ではホロコーストの事実は既に日常的なものとなっており、女の子の服の色ほど明らかなことだったためとスピルバーグは語っている(シンドラーのリストより)

ぶっちゃけ、この説明はよくわからない…笑。

私の個人的な解釈としては、あの赤い服を着た女の子が持つ意味は「血」なのでは…と。

あのシーンで、シンドラーと一緒にいた内縁の妻のような女性は、赤い服を着た女の子に関しては触れていない。

街で起こる殺戮現場を目の当たりにして、「もう見たくないわ…帰りましょ」と言うだけである。

もし、女性が赤い服を着た女の子を目撃していたのであれば、「あんな小さい子が…」と嘆くはずだ。

だが、あのシーンではシンドラーだけが赤い服を着た女の子に着目している。

シンドラー以外の人間は、赤い服を着た女の子に着目していないのである。

個人的にはここがポイントなのかなぁと。

つまり、赤い服の女の子を「血」そのものだと解釈すると、映画内で「ユダヤ人はネズミと同じだ!」的な感じで、人間ではない!という教えがドイツ国民の中で広がっているのがわかる。だが、シンドラーには「ユダヤ人たちも1人の人間なのだ」…という現実が見えてきていたというわけだ。

もし、シンドラーがあそこで「もっとやっちまえ!」的な感情を持っていたのならば、あの女の子のことを軍に知らせるはずだ。「あそこに赤い服を着た少女がいるぞ」と。

要するに、あのシーンは迫害されて意味もなく殺されていくユダヤ人たちの「血」であり、

「血が通っている=人間」

という、至極当たり前の道徳的なことを、シンドラーに想起させているのではと解釈した。

なぜ、シンドラーと共にいた女性にあの女の子が見えていなかったのか…というと、凄惨な現場を目の当たりにして、「自分にはどうすることもできない」という諦めがあったからではないだろうか。

しかし、シンドラーにはユダヤ人たちを使って得た巨額のお金があったし、人望もあった。

彼らを救えるのは、自分だけなのかもしれない…という思いが、シンドラーに湧き上がったシーンとして考えられるだろう。

『シンドラーのリスト』を総合評価するなら?

『シンドラーのリスト』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

ああ、まるで「映像の世紀」を観ているかのような錯覚に陥った…笑。

全体的にクオリティが高く、さらには考えさせられるシーンも満載。

かといって「話が重すぎてつまらない」なんてことはなく、サクサクと観れてしまう。

確かに陰鬱なシーンや残酷なシーンがたくさんあるが、それもまた『シンドラーのリスト』という映画を名作にするエッセンスだとも取れるだろう。

最後の最後で、酒を飲み交わすこともなかったイザックと握手を交わすシーンには思わず涙してしまった。

人生の教訓のようなものがたくさん詰まっている、素晴らしい映画だということで、文句のつけようもなく星5である。

『シンドラーのリスト』はどんな人にオススメ?

『シンドラーのリスト』は、ぶっちゃけ、どんな人でも人生で1度は観ておくべき映画だと思う。

私は普段、「とにかく全員の人に見て欲しい」なんていう安っぽい言葉は使わないのだが、『シンドラーのリスト』に限ってはあえて言わせてほしい。

ぜひ、人生で1度は見ておくべき映画である。

ナチスドイツという悲劇。そして無残に殺されてしまうユダヤ人たち。

私が好きなビートルズは1960年代に活躍したビッグバンドなわけだが、ビートルズが活躍するわずか20〜30年前には、こんな恐ろしいことが行われていたのか…と思うととてもゾッとする。

「歴史は繰り返す」なんて言葉があるが、良い歴史だけが繰り返されていって欲しい…と切に願う。

終わりに

『シンドラーのリスト』についてレビューしてきた。

余談だが、実は『シンドラーのリスト』ははじめ、見る気が起きなかった。

というのも、全編モノクロ映画だという話を聞いていたからだ。

モノクロ映画といえば、ついこの前「ローマの休日」を見たわけだが、ぶっちゃけローマの休日はちょっと古すぎて途中でダレてしまったのである。

モノクロ映画というのもあるし、なんとなく…演出や音楽が古い感じが否めなく、バッチリとハマらなかった。

そんな苦い経験があるもので、『シンドラーのリスト』も大丈夫かなぁ…と思ったわけだ。それに上映時間も3時間ちょいあるし…笑。

と思ったら、面白くて面白くて…。どんどん観れてしまうじゃないか。

さすが世界のスピルバーグである。ハズレがない。

今後もどんどん、スピルバーグの映画を見ていこうと思う。