【ネタバレ感想】『男はつらいよ 寅次郎忘れな草(第11作)』は、いつもとは違うマドンナが登場する作品だった

ふぉぐです。

ついさっき、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を観終わったので、早速レビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくのでまだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』ってどんな映画?あらすじは?

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』は、1973年公開のコメディ映画。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に浅丘ルリ子。

あらすじは、「北海道で出会った、三流歌手のリリーといざこざが起きてしまう」という物語である。

夢を見ていた寅次郎。柴又村の貧しい農村で、借金のカタに売られようとしている娘「おさく」。そのおさくを助けにやってきたのは、寅次郎という侍だった…。

寅次郎は、いつものように柴又へ帰郷。

すると、今日は実父である「車平造」の27回忌だという。

御前様がやってきてお経を唱えているところに寅次郎がやってきたのだった。

御前様がお経を唱えている途中、とらやの面々を笑かそうとする寅次郎。そのことが原因でいつものように喧嘩になり、またプイッと旅へと出てしまうのだった。

夜汽車に乗って北海道は網走へ向かう寅次郎。夜汽車に乗っていると、一人で窓の外を見ながら涙を拭いている女性がいた。

なんとなく親近感を抱いた寅次郎は、特に話しかけることなく網走へ到着。その女性はタクシーに乗ってどこかへ行ってしまった。

網走でテキ屋商売をするも成果が出ない。

休憩をしていると、夜汽車で泣いていた女性が寅次郎に話しかけてきた。

名前はリリー松岡。全国のキャバレーをまわって歌手をしていたのだった。

自分たちの身のうち話を少しばかり話したあと、リリーは颯爽と仕事へと向かう。

「兄さん、名前はなんてーの?」

と聞くリリーに、

「葛飾は柴又の、車寅次郎よ」

と言って、別れるのだった。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草(第11作)』は、いつもとは違うマドンナが登場する作品だった

というわけで『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を観終わった。

まず最初の印象を紹介するなら、今作はこれまでの男はつらいよシリーズの中ではかなり珍しいタイプの作品だったように思う。

そういえば前作の『男はつらいよ 寅次郎夢枕』も珍しいタイプだったが、今作も今作でなかなかに珍しい。

というのも、マドンナであるリリーが寅さんのようなフーテン暮らし(実際にはフーテンらしいフーテンではないけれど)をしている点である。

これまでのマドンナは、

  • お嬢さん
  • ご婦人
  • 幼馴染

などなど、寅さんの暮らしには到底ついてこれない女性がマドンナとなっていた。

しかし、今作のマドンナ「リリー」は、寅さんのように豪快で、それでいてかなりやんちゃな女性である。

とらやのおばちゃんも、

「あんなに酔っ払った女の人は初めてだよ」

とさくらに愚痴をこぼすほどの人物である。それがリリーだ。

しかし、リリーはリリーで自分の中に暗い影を持っている。

まるで寅さんのように、「私は普通じゃない」と自分で自分を感じ取っている。

その、威勢の良い豪快なキャラと対比する形で、壊れやすい心を持ったマドンナだったのである。

「忘れな草」の花言葉と、考察

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』の題名にも入って、なおかつリリーがとらやにやってきたときに興味を向けた花、それが「忘れな草」である。

忘れな草の花言葉は、

  • 私を忘れないで
  • 真実の愛・友情

という意味を持っているらしい。

うーむ、これだけでもなかなかに考察できる。

リリーが泥酔してとらやにやってきた時、寅次郎はリリーの言葉に耳を傾けようとはしなかった。

それよりか、「とりあえず酒でも飲んで嫌なことは忘れよう」と最もらしいことを言ってその場をやり過ごそうとする。

リリーには、その寅さんがとても冷徹に見えたのだろう。

だから、とっさに「寅さんなんて嫌いだよ!」と言ってどこかへ行ってしまう。

それは、まるで寅さんにはデジャヴのように思い返すものがあったはずである。

そう、リリーがプイッと出て行ったその姿は、まるで寅さんそのものだったからである。

それを象徴するように、今作では寅さんととらやの面々が喧嘩をして、寅さんが自分のしてしまったことを悔いるように出て行って映画が終わる…という構成ではない。

寅さんは、上野駅(多分)でアタッシュケースを持ってくるさくらを待ち、さくらから金をもらって北海道へ行く。

そして、北海道で地道な暮らしをするために、以前お世話になった酪農家の元へ赴くのである。

これまでの寅さんなら、どこかでテキ屋商売をしている姿が写って終了…という感じだったのが、今作ではなんとカタギのような生活を自ら欲する形で映画が終了する。

さらに、リリーもまた、亭主を作って寿司屋を営んでいた。

「私を忘れないで」…あの時、北海道で自らの身の上話を語った二人のあの思い出は忘れない。寿司屋、そして酪農家になった二人が出会うことはもうほぼ無いと言って良いぐらいにありえないことである。

別々の道を歩もうとする(と言っても寅さんはまたフーテン暮らしに戻るだろうけど)二人をつなぎ合わせるのは、忘れな草であり、そしてあの時語った自分の話なのである…。

ピアノは、フーテンには向かないのさ

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』の前半で、寅さんがおもちゃのピアノを買ってくる…というシーンがある。

満男を連れて幼稚園から帰ってくるさくらが、帰る途中にピアノの音がする家を見て、

「ピアノが欲しいわ…満男に習わせたいの」

とひろしにちょこっとこぼすシーンである。

それを聞いた寅さんは、おもちゃのピアノを買ってきた…というわけだ。

これもまた、いつものように「フーテン暮らし」と「定住」を対比させる形で演出した素晴らしいシーンである。

ピアノを置くには、家がなければならない。

しかし、フーテン暮らしの寅さんにとって、ピアノは邪魔でしかなく、購入しようなんてひとっつも思わないのである。

そして面白いのは、「男はつらいよシリーズ」では、ギターが度々登場するが、ギターに関してはさくらも「欲しい」とは言わない点である。

当時、確かにギターよりもピアノの方がなんか…楽器として素晴らしいみたいな風潮があったかもしれないが、満男にピアノではなくギターを習わせるのでもよかったはずである。

しかし、さくらは「男の子だからこそピアノを習わせたい」と自分の思い描いているイメージをどんどん膨らませる。

ギターは、「定住」を意味しないからである。

ギターなら、旅先にも持っていけるし、いつでもどこでも弦さえ張っていれば弾ける。

それに比べ、ピアノはどこかに持っていけるわけでもないし、調律師によりメンテナンスも大切である。

おもちゃのピアノは小さいから持っていけるが、おもちゃのピアノが欲しいわけではないのである。

「定住」そして「フーテン」。

楽器でそれらを表すとは、なかなか粋な演出である。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を総合評価するなら?

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

うーむ、今作も最高点数をつけても良いぐらいに面白い出来だった。

特に、寅さんと同じ生き方をしている「リリー」をマドンナにしたことで、より寅さん特有の切なさを感じることができる作品に仕上がっていると思う。

北海道をサブの舞台としたことも、良い味を出しているなぁ…なんて思ってしまった。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』はどんな人におすすめ?

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』は、男はつらいよシリーズで一番出演回数が多いマドンナ「リリー」が登場するので、リリーファンには必見の作品である。

また、かなり切ない展開になるので、ちょっと泣きたい人にもおすすめだ。

終わりに

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』についてレビューしてきた。

余談だが、夜汽車に乗って網走へ行く時の、あの夜汽車のシーンが個人的にノスタルジーを感じた。

背中をかけるところがグラグラ揺れていて、今ではありえないような作りになっている。

その全てに時代を感じて、

「こんな時代があったんだなぁ」

なんて感慨深くなってしまうのである。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』、名作である。