ふぉぐです。
ついさっき、『スタンド・バイ・ミー』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
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『スタンド・バイ・ミー』ってどんな映画?あらすじは?
『スタンド・バイ・ミー』は、1986年公開のヒューマンドラマ映画。
監督はロブ・ライナー。主演はウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル。
あらすじとしては、「ある田舎町の仲良し四人組は、ひょんなことから『汽車に引かれた死体探し』の旅に出ることになる。彼らは、ひと夏の思い出を作ることになる」という物語である。
ゴードン…通称、ゴーディは、作家だった。
ある日、新聞を見ていると、「弁護士、刺殺される」という記事を発見する。その弁護士の名前は「クリストファー・チェンバーズ」。12歳のころ、いつも遊んでいた「クリス」の本名だった。
ゴーディは、その記事を観て、幼き日のことを思い出していた。
舞台は1959年のオレゴン州キャッスルロックという田舎町。
当時12歳だったゴーディは、クリス、テディ、バーンの三人と共に、木の上にある秘密基地でよく遊んでいた。
クリスは盗みを働いてしまうことがある不良格の存在。
テディはちょっとイかれてるやつ。
バーンは少しぽっちゃりの可愛げのあるやつだった。
ある日、いつものように秘密基地でタバコをふかしながらトランプをしていると、バーンがすごい勢いでやってきた。
事情を聞くと、「30キロ先の線路で、三日前から行方不明になっているレイ・ブラワーという少年の死体がある」という。どうやら汽車にはねられてしまったらしい。バーンは、自宅でこっそり兄たちが話しているのを聞いていたのだった。
ゴーディたち四人は、「その死体を発見すれば、有名人になれるかもしれない」と思い立ち、さっそく死体探しの旅に出かけるのだった。
『スタンド・バイ・ミー』は、ラストシーンでもの哀しさを感じる作品だった
というわけで『スタンド・バイ・ミー』を観終わった。
まず最初の感想としては、
「ラストシーンでもの哀しさを感じる作品だなぁ」
という印象だろうか…。
うーん。良い。素晴らしい。
ぶっちゃけると、映画自体としてはなんの変哲もない、少年たちによる冒険物語…という感じである。
「12歳なら、親に黙ってこういうこと、したくなるよね」
というような…そんな感じ。
おそらく、ラストシーンがなければ、なんの変哲もない冒険物語になっていたはずだ。
しかし、ラストシーンでもの哀しさが爆発する。
「テディとバーンとは、そのうち学校で顔を合わせるだけの関係になっていった」
「(クリスが刺殺された記事を見て)クリスとは、20年以上会ってなかった」
「12歳の時のような友人を持つことはもうないだろう」
このリアリティ。凄まじい。
ああ…このもの哀しさはなんなのだろう。
私にも経験がある。
12歳の時に最高の友人だと思っていた彼らとは、中学・高校と上がるにつれ、思い出すこともなくなっていった。
友達は流動的である。流動的であるがゆえに、そこにはもの哀しさが生じる。
あの時の友達は、今頃何をしているのだろうか。
我々映画を観る側は、ゴーディたち四人のような経験を全く同じにすることはできない。
しかし、彼らの思い出に対する感じ方は、彼らと同じ経験をしていない我々にとっても普遍的なものなのである。
このセンチメンタルな感動は、『スタンド・バイ・ミー』ならではのものなのではないか。
そう感じる映画だった。
12歳の、無力さゆえに力を誇示したくなる時期
『スタンド・バイ・ミー』のゴーディたち四人は12歳。
そろそろ思春期に入るような年頃である。
思春期とはなかなかに酷な時期で、他人との比較・劣等感に溺れてしまう時期でもある。
自分の無力さに絶望し、社会との狭間で揺れ動く。
また、それゆえに先の見通せない未来に対しても、明確な視野を持とうとして失敗する年頃でもあるのではないだろうか。
『スタンド・バイ・ミー』でも、そのような少年たちの葛藤が見て取れる。
テディの汽車に対するチキンレースがその象徴ではないだろうか。
自分の無力さを知っていたテディは、「汽車」という自分ではどうにもできないような脅威に対してまで牙を剝く。
「俺ならギリギリでかわしてみせる!!」
と息巻いたテディを、クリスは「死にたいのか!」と一喝し、線路から引き離す。
ブタケツのストーリーで会場中がゲロまみれになった後の物語を知りたがる。
給食費を盗んだけれど、もしお金持ちのボンボンが盗んだのだとしたら、そいつは疑われるのか?で葛藤する。
「僕はお父さんに好かれてない」と絶望する。
ああ。彼らは無力である。無力であることを知っている。知っているがゆえに、無力ではないことを証明しようとするのである。
この痛々しさ。私にも経験がある。無力な自分が無力ではないことを証明しようとするあがき…。
無力な少年たちは、人を殺す力のある拳銃を使い、力のある不良たちから死体を守る。
もし、あの時拳銃がなかったら。クリスは殺されていたかもしれない。死体も持っていかれていたかもしれない。
拳銃は人を殺める道具だが、『スタンド・バイ・ミー』においては「保護者」のような、力のある存在としての立ち位置として考えられる。
無力な少年たちには、力が必要なのである。
『スタンド・バイ・ミー』を総合評価するなら?
『スタンド・バイ・ミー』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。
前述したが、ぶっちゃけ物語としてはなんの変哲もない少年たちによる冒険物語である。
ストーリーとしてみるなら、面白い映画はたくさんあるから、『スタンド・バイ・ミー』をみる必要性はない。
ではなぜ『スタンド・バイ・ミー』がこれだけ支持を集めるのか…というと、そこには郷愁があるからである。
いわゆる、ノスタルジーだ。
「もう、過去には戻れない」という絶望の中に、『スタンド・バイ・ミー』は燦然と輝くのである。
ゴーディの急所にヒルが付いていて失神してしまったけれど、「僕は帰らない」と言ったことも、それは『スタンド・バイ・ミー』という映画においての本質なのかもしれない。
『スタンド・バイ・ミー』はどんな人にオススメ?
『スタンド・バイ・ミー』は、ぜひ学生さんたちに見て欲しい映画である。
若い時にこの映画を見ておけるというのは、私としてはかなりのアドバンテージでもあるし、素晴らしいことのように思う。
終わりに
『スタンド・バイ・ミー』についてレビューしてきた。
余談だが、クリス役のリヴァー・フェニックスは23歳で亡くなっているようだ。1993年没である。
『スタンド・バイ・ミー』の撮影を乗り切った四人も、『スタンド・バイ・ミー』を通してどこかで「もう会わなくなったけど、頑張ってるんだろうな」と思ってるのかもしれない。
なんだか、とても胸が苦しくなる映画だった。