ふぉぐです。
ついさっき『怪物はささやく』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
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『怪物はささやく』ってどんな映画?あらすじは?
『怪物はささやく』は、2016年(日本だと2017年)公開のダークファンタジー映画。
監督はフアン・アントニオ・バヨナ。主演はルイス・マクドゥーガル(コナー)、シガニー・ウィーバー(コナーの祖母)、フェリシティ・ローズ・ハドリー・ジョーンズ(コナーの母)である。
あらすじとしては、「重病の母親がどんどん弱っていく姿を見ていくコナーに木の怪物がささやきかけ、物語を教えてくれる」というストーリーになっている。
コナーはある日、悪夢を見る。
巨大な木がある庭がいきなり地割れを起こすのだ。そこにコナーとコナーの母がいて、コナーの母が地割れの中へと落ちてしまう…というものだった。
コナーの母親は大病を患っていて、薬も効かないような状況だった。
コナーはそんな中、母親との楽しかった日々を想像する日々に明け暮れる。
ある日の真夜中。
コナーが自室で絵を描いていると、突然低い声が家中に響いた。
母親かと思ったコナーは「母さん?」と尋ねるが、返事はない。
窓を見ると、巨大な木の怪物がそこにいた。
怪物は、コナーの家に手を突っ込んで、コナーを抱き寄せる。
「私はお前に3つの物語を聞かせる」
といい、怪物は3つの物語をコナーに聞かせるのだった。
そして4つ目の話。
「真実を言うんだ」
と迫る木の怪物に、コナーは答えるのだった。
『怪物はささやく』は、受け入れられない現実との葛藤物語だった
と言うわけで『怪物はささやく』を観終わった。
まず観た感想を述べるとするならば、『怪物はささやく』は、かなり説教じみた映画だと言うことだ。
木の怪物は、コナーに物語を通してこんな教訓を教えてくれる。
- みんなに愛される人には裏があるかもしれない(人殺しの王子の話)
- 嫌味な奴でも、正しい行いをしていることがある(調合師の話)
- 透明人間は行動しても孤独になることがある
そして4つ目の物語。
それは、コナーの母親が死ぬ…ということである。
さらに言えば、重病で辛く苦しい思いをしていること母親を、看病している自分も辛く苦しい思いをしているのである。
それゆえに、コナーは「いっそのこと死んで欲しい」と思ってしまっていたのだ。
その証拠に、4つ目の物語をコナーが話す前、地割れに落ちる母親の手を離したことをコナーは正直に言う。母親を愛しているのはもちろんだが、それと矛盾する形で心の中に「早く死んで欲しい」という残酷な自分の姿があったのだ。自己欺瞞である。
コナーにとって、それは受け入れられない現実であり、受け入れられない代わりに八つ当たりをしていたのである。
「罪は無し?」
と、コナーが父親と学校の先生に問うシーンが感慨深い。
コナーは、自分の自己欺瞞を誰かに罰して欲しかったのである。それがせめてもの罪滅ぼしだと確信していた。
だから、家の家具に八つ当たりをして父親や祖母に罰をもらいたかったし、透明人間じゃない!といじめっ子に仕返しをして、その罰が欲しかった。
だけれど、誰も自分に罰を与えてくれなかった。
それどころか、いじめっ子に関しては自分の心を読み取ってしまっていたこともあり、憤慨したのである。
受け入れられない現実、自分との葛藤…。
『怪物はささやく』には、そんな重苦しいテーマが込められているのかな…と感じた。
『怪物はささやく』を個人的な知見から解説してみる
『怪物はささやく』は、ファンタジー映画でありながらも、その内容の密度たるや…といった映画である。
なかなかに解釈が難しく、それゆえに人それぞれ解釈があり、「これが正解だ」というものはないのではないか?とも思っている。これが一つの私なりの解釈だ。
だが、これだけだと「ざけんな!!」と怒られそうなので、ここからは私なりに感じた『怪物はささやく』を解説していこうと思う。
木の怪物の正体はなんだったのか
『怪物はささやく』で特徴的なキャラクターといえば、木の怪物である。
この木の怪物は、映画を見てもらえればわかるが、明らかにコナーの想像だというのがわかる。
その証拠に、木の怪物が家の壁を貫いてコナーを持ち上げるシーンがあるが、そのあとに家は壊れていることなく元の通りに戻っている。
まず、木の怪物は現実世界のものではなく、コナーの想像であるのは容易に考えやすいだろう。
では、木の怪物はどんな立ち位置だったのだろうか…。
木の怪物の立ち位置
その謎を解くヒントは、「写真」、「母親のスケッチブック」「母親がコナーの後ろを見つめている」という3つにあると思っている。
まず結論から言ってしまえば、木の怪物の正体は「コナーの祖父」である。
コナーの母親が子どもだった頃の写真が出てくるが、木の怪物そっくりの人物が母親を抱いているのがわかる。
木の怪物はコナーの祖父であり、母親の父だった。
そして、最後のシーンで出てくる母親のスケッチブック。
これだけをみると、
「母親も木の怪物が見えていた」
という解釈になりがちだが、「木の怪物の正体は祖父」という前情報があると、もっと違った解釈が生まれる。
母親も木の怪物が見えていた…というのはあながち間違いではないが、木の怪物は祖父から語り継がれたモノだというのが私の解釈である。
コナーの祖母は生きているが、祖父はもう亡くなっている。
コナーの母にとってみれば、コナーは自分と同じような状況に立たされている(早い段階で親が亡くなる)ということだ。
そこで、コナーの母はコナーに、父が伝えてくれた物語を話す。
コナーは祖父の顔を知らないから、木の怪物としてその物語を組み立てていく。
そして、コナーの母親が亡くなる直前のシーンで、コナーの母親はコナーの後ろにいる木の怪物を見る。
木の怪物は、コナーからしてみればただの木の怪物だが、コナーの母親からしてみれば父である。
父親の面影をそこに見た母親…という解釈が正しいのかな…と私は思った。
『怪物はささやく』を総合評価するなら?
『怪物はささやく』を総合評価するなら、星5中の星3評価である。
実に教訓めいた映画である。
見る人がみれば面白いと思うし、私も深い話だなぁとは思ったけれど、ちょっとテンポにかけるかな…という印象を抱いた。
途中でちょっとダレてしまいそうになった。
決して面白くないことはないし、勉強になるような映画なんだけれど、うーん…小難しすぎて気楽にはみれない作品である…。重いし。
ただ、CG技術などはめちゃくちゃリアリティに溢れていたので、そこを加味して星3評価である。
『怪物はささやく』はどんな人におすすめ?
『怪物はささやく』は、いわゆる「パンズ・ラビリンス」系のダークファンタジーが好きな人にはおすすめである。
パンズ・ラビリンスほどグロテスクではないし重苦しくもないんだけれど、似た雰囲気を感じ取れる。
また、考えさせられるシーンもたくさんあるので、ダークファンタジー系が好きな人にはおすすめである。
終わりに
『怪物はささやく』についてレビューしてきた。
余談だが、自己欺瞞とは誰しもが持っているものなんじゃないかな…と思ってしまう。
それこそ、「親の介護」とかはまさにそうだ。
親のことは愛しているし尊敬もしている…。できれば死なないで欲しいとは思っているけれど、もし重労働のような介護が必要になったとしたら…。
私ももしかすると、コナーのように自己欺瞞を心に抱えてしまうかもしれない。
人は、心の中に怪物を飼っている。
そんな教訓が、『怪物はささやく』にはあるのかもしれない。