【ネタバレ感想】『セッション』は、裏切りと怒号が連続で続く、鬼気迫る音楽映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『セッション』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『セッション』ってどんな映画?あらすじは?

『セッション』は2014年(日本だと2015年)公開の音楽・ヒューマンドラマ映画。

監督はデミアン・チャゼル。主演はマイルズ・テラー、J・K・シモンズ。

あらすじとしては、「有名音楽学校にジャズドラマー志望として入学した青年に、鬼教師が狂気のレッスンをする」という物語である。

アンドリュー・ニーマンは、19歳のジャズドラマー志望の青年。

有名音楽学校であるシェイファー音楽院へ進学し、初等クラスでのバンド経験を積んでいた。

ある時、アンドリューが練習室で1人ドラムを叩いていると、音楽院の中でも名教師として有名な「テレンス・フレッチャー」に出会う。

フレッチャーはまさに鬼軍曹のような指導方法だった。

後日、フレッチャーは音楽院の初等クラスへとやってきて、自らが受け持つ最上級クラスへの引き抜き生徒を見抜いていた。

フレッチャーは、アンドリューを引き抜いて「朝6時にスタジオへ来るように」と告げる。

アンドリューは次の日、6時過ぎに目覚めてしまい、急いでスタジオへ向かう。

だが、スタジオには誰もおらず、スタジオ外のホワイトボードを見ると、9時からの練習になっていた。

アンドリューが9時近くまでスタジオ内で待っていると、ぞろぞろと最上級クラスのバンドメンバーたちがやってくる。

そして、9時きっかりにフレッチャーが入室し、バンドの練習が始まるのだった。

だが、アンドリューは最上級クラスの異様すぎる雰囲気にたじろいでしまった。

フレッチャーが鬼教官で、バンドメンバーたちは兵隊…というような関係性である。

フレッチャーは、チューニングがズレているバンドメンバーをあぶり出し、怒声を浴びせてスタジオから退出させた。

また、アンドリューに対してもビンタをして、他のバンドメンバーがいる前で屈辱的なことを言ったりして、追い込んでいった。

鬼教官すぎる指導方法にアンドリューは心が折れかけるが、これも練習の一つだ!と決心し、毎日毎日血が滲むまでドラムの練習を頑張り続けるのだった。

『セッション』は、裏切りと怒号が連続で続く、鬼気迫る音楽映画だった

というわけで『セッション』を観た。

まず正直な感想から言わせてもらえれば、

こええよ!!!

である。

もう、とにかく怖い。フレッチャーが怖すぎる。

しかし、その怖さゆえなのか、映画には緊張感が生まれて、鑑賞者の心でさえもキリッとさせる力があるように思う。

また、『セッション』は裏切り的な展開と怒号が連続で続いていく映画である。

フレッチャー役のJ・K・シモンズの熱演、およびマイルズ・テラーの溜まっていくフレッチャーへの憎しみなどが、いい具合に織りなしている映画だったように思う。

私は体罰なんて否定派だし、人格攻撃などはあってはならないと思っている人間である。

だから、『セッション』はぶっちゃけ恐ろしすぎる映画だったのだが、私の思想や考え方と作品のあり方とは別だと思っているため、『セッション』は面白い映画の部類に入ると思っている。

『セッション』は、心理描写がすごい

『セッション』は、スパルタ教育による生徒の心理描写が凄まじい映画である。

特に、アンドリューがシャイファー音楽院バンド名義でドラム参加するとなった時、バスのタイヤがパンクして会場に着くのが遅れてしまうシーンは圧巻である。

ここまでひたすらに練習してきたアンドリューからすれば、バスのタイヤパンクなんてものは許せないアクシデントなわけである。

必死の思いでレンタカーを借りて会場にたどり着くも、今度はフレッチャーからアンドリュー降板の知らせと、レンタカーにドラムスティックを忘れてしまうアクシデント。

3重にもなるアクシデントでアンドリューは正常な判断ができず、最後はおそらく信号無視かなんかをしてしまって自動車事故を起こしてしまう。

それでもなんとか会場にたどり着くも、事故を起こして血だらけになるぐらいの怪我をしているから、まともに演奏ができない。

アンドリューのズタボロすぎるドラムパフォーマンスを見かねたフレッチャーは、バンド自体の演奏をストップさせる。

ここで、アンドリューはこれまでの鬱憤を全て吐き出すようにフレッチャーへ掴みかかって罵る。

「死ね!死ね!!」

と、まるでパンパンに空気が溜まっている風船が、勢いよく空気を吐き出しながら空へ飛ぶようにフレッチャーへ罵詈雑言を浴びせかけるのだ。

この迫力ある演技。凄まじい。

観客としても、アンドリュー目線でストーリーが進んでいくわけだから、アンドリューがどれだけの気持ちでドラム練習に臨んでいたかがわかる。

だからこそ、フレッチャーへの憎悪は観客も感じていただろうし、あの場面でアンドリューが罵ることで、観客としても若干の憂さ晴らしができたのではないだろうか。

また、自動車事故を引き起こしたところで、観客としては「演奏ができない理由」を見つけることにも成功するのだ。

このストーリー展開はベタだけれども見事であり、観客の気持ちを掴んでいるシーンだといっても過言ではないように思う。

フレッチャーは、狂人である

『セッション』を見た人なら大体が思っていることだろうが…。

フレッチャーは、どう考えても狂人である。

あの鬼軍曹並みの練習風景と、さらにはアンドリューへの個人的な恨みで違う曲をセレクトしてコンサートに出場させるところなどはどう考えても異常である。

フレッチャーに、信念があることはわかる。

チャーリー・パーカーやバディ・リッチのような、ジャズ界の巨匠と言われるほどの名プレイヤーを輩出したい…という信念。

しかし、フレッチャーには足りないものがある。

それは、自分の欲望を叶えさせるために、生徒たちを恐怖政治がごとく絶望のどん底へ突き落としていることだ。

「演奏を楽しめ」と笑顔でアンドリューに言ったにも関わらず、実はフレッチャー自身が音楽を楽しんでいないように思う。

ジャズとブルースロックを並べるのは違うかもしれないが、例えば世界的に有名なギタリストで「ジミ・ヘンドリックス」という人物がいる。

彼のギター演奏はまさにギターが泣き喚いているようで、人々の心を掴んで離さない、まさにギター界のレジェンドである。

しかし、彼のギター演奏は、現代のギタリストからすれば若干リズムがよれている。

もちろん、彼が活躍していたのは1960年代だし、まだまだギターの技術そのものが発展途上の段階にあった時代である。

だが、そうだとしてもジミ・ヘンドリックスのギターは伝説として語り継がれ、多くの人から「神のギタリストだ」と言われているのである。

これは、もちろんヘンドリックスのギターがまるで歌っているように聞こえるのもあるとは思うが、音楽そのものを心から楽しんでいたのではないだろうか。

完璧を求めない…とでもいうだろうか。

完璧を目指すのと完璧を求めるのとは訳が違うと思っている。

完璧を目指すことは、『セッション』でいうところのアンドリューである。アンドリューは自分の技術をもっともっと研ぎ澄ますために、練習に明け暮れた。何事も練習なしではなし得ない。そういう意味で、完璧を目指すのは素晴らしいことである。

それに比べ、フレッチャーは完璧を求めていた。完璧を求めてしまうと、他人に対して変な期待をしてしまう。期待に沿わない人物は「お前は俺の期待に応えなかった」と言ってバッサリ切ってしまうわけだ。まさにフレッチャーである。

フレッチャーは指導者としても如何なものかと思うし、人間性的にも如何なものか…という人物である。

まさに狂人である。

『セッション』を総合評価するなら?

『セッション』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

全体としては面白く、テンポもストーリーもサクサク進んでとても良い映画だった。

また、主人公の心理描写も秀逸で、観客をドキドキさせる演出が随所にある。

最後までドキドキの連続だった…。

星1つ減点した理由としては、アンドリューやフレッチャーの人物像をもう少し掘り下げて欲しかったかな…というところだ。

なぜアンドリューはドラマーになろうと思ったのか…。なぜフレッチャーはあの鬼軍曹並みの指導方法に行き着いたのか…。

映画としてはとてもシンプルなのだが、個人的にはもう少しそれぞれのバックグラウンドが欲しかったかな…という感じである。

そういう意味で星4評価とさせていただく。

『セッション』はどんな人にオススメ?

『セッション』は、音楽を志す人にはぜひ見て欲しい映画である。

音楽…および芸術などの実力主義の世界は厳しい世界である。

実力主義の世界を生き抜くためには、のほほんと暮らしているわけにはいかない。

今でもどこかでライバルたちが、自分の腕を磨くために必死で練習を積んでいる。

セッションは、そんな実力主義の世界へ足を踏み入れようとしている人々のモンスターエナジーになるような映画だと思う。

ぜひ、音楽を志している人は鑑賞を。

終わりに

『セッション』を観終わった。

ぶっちゃけ、面白い映画には面白い映画なんだけれど、どうにも時代錯誤感は否めないかな…笑。

作中でフレッチャーが、

「甘い時代になった…。こんなんだからジャズは育たなくなったんだな」

と言っているセリフがある。

確かに、今のジャズと昔のジャズを聴き比べてみると、何だろう…空気感が違う気がする。

私はウェス・モンゴメリーやジョン・コルトレーンなどのジャズ奏者を好んで聴いているが、現代のジャズとはどこか違う雰囲気がある。

もちろん、いわゆるモダンジャズに詳しいわけではないので、一概に「昔のジャズの方が良いね!」とは言えないが、空気感は断然昔の方が鬼気迫っている感じがする。

フレッチャーが言っていることもわからなくはない。

甘い世界になったものである。