【ネタバレ感想】『クラウド アトラス』は、複数の物語が少しずつ噛み合っていく複雑な映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『クラウド アトラス』を観終わったのでさっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくのでまだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『クラウド アトラス』ってどんな映画?あらすじは?

『クラウド アトラス』は、2012年公開のSF映画。

監督はウォシャウスキー兄弟(姉妹)、トム・ティクヴァ。主演はトム・ハンクス、ハル・ベリー、ジム・スタージェス、ベン・ウィショー、ジム・ブロードベント、ペ・ドゥナ、ジェームズ・ダーシー。

あらすじとしては、「6つの物語が時代を超えて影響を及ぼしていく」という物語である。

6つの物語をそれぞれ要約して紹介していく

“波乱に満ちた航海の物語”(1849年)

1849年、ある弁護士ユーイングは、奴隷貿易のためにある島を訪れていた。

そして、奴隷貿易のサインをもらい、故郷へ帰る途中、疫病にかかったかもしれないということで、一人だけ貨物室へと隔離される。

すると、そこには密航するために船に乗船していた黒人奴隷のオトゥアも乗っていた。

オトゥアは、ユーイングに「あなたに助けてほしい」と懇願し、貨物室にかくまってもらおうとする。

一度は諦めてほしいと思ったユーイングだったが、オトゥアが水夫としての腕前はピカイチだと知らされ、とりあえず一緒にいることにする。

ユーイングは、オトゥアを世話していると、ついに疫病にかかってしまう。

医師のグースによって殺されかけるところをオトゥアに助けられ、ユーイングはついに奴隷貿易反対の運動をすることを誓う。

“幻の名曲の誕生秘話”(1931年)

英国の青年、フロビシャーは、音楽を志す精悍な若者だった。

彼は、天才作曲家として世に名を馳せていたエアズの元に弟子入りをする。

フロビシャーは、天才作曲家でもあり変人でもあるエアズが頭に浮かんだメロディーを採譜する毎日を送るとともに、『弁護士ユーイングの航海日誌』という本を愛読していた。

ある日、フロビシャーは「クラウドアトラス六重奏」という曲を完成させる。

しかし、エアズはその曲を「私がこの前夢で見た曲だ!」とし、フロビシャーの作った曲を自分との共作にしようとした。

我慢の限界に達したフロビシャーは、ついにエアズの拳銃でエアズを撃ち抜き逃亡する。

だが、エアズは死亡しておらず、「フロビシャーに殺されかけた」と警察に通報し、フロビシャーはお尋ね者となってしまう。

フロビシャーはついに、手紙のやりとりをしていたシックススミスに遺書を送り、あるホテルの一室で拳銃自殺してしまう。

“巨大企業の陰謀”(1973年)

1973年、老人になったシックススミスは米国にて物理学者になっていた。

シックススミスは、フックスという原発事業を進める企業を取り仕切る人物のもとで働いていたが、その原発に欠陥があることを告発するため、ジャーナリストである「ルイサ・レイ」に書類を託そうとする。

しかし、シックススミスは原発事故によって資金が大量に入ってくるであろう会社に雇われた殺し屋によって射殺されてしまう。

そして、殺し屋はルイサをも殺そうと橋から車ごと落とすが、危機一髪でルイスは生還。

家に帰ると、朝鮮戦争で亡き父と一緒に戦ったという戦友のネピアがいた。

ネピアはルイサを助けようと、一緒に殺し屋を打倒する。

そして、無事にシックススミスの姪であるメーガンに書類が渡り、告発に成功するのだった。

“ある編集者の大脱走”(2012年)

カヴェンディッシュの手には、「ルイサ・レイ事件」という小説があった。

カヴェンディッシュは編集者で、ダーモットという人物がその原稿を書きあげた。

しかし、ダーモットには売れない原因としてある批評家の存在があった。

ダーモットはパーティーでその日評価を突き落として殺害するが、それによって時の人となり、ダーモットの作品は売れに売れた。

もちろん、ダーモットの出版元であったカヴェンディッシュにも売れた分のお金が入ってくるが、ダーモットの子分たちがカヴェンディッシュのもとにやってきて恐喝をする。

お金がなくなったカヴェンディッシュは兄のもとへいくが、兄によって老人ホームに入れられてしまう。

カヴェンディッシュはなんとか脱出をしようとするも全くできない。

しかし、入居している他の老人たちと手を組み、車を奪ってなんとか逃走に成功。

酒場で飲んでいると老人ホームの看護婦たちがやってくるが、酒場で飲んでいた人々を味方につけ、その場もなんとか乗り切る。

そして、自伝として「カヴェンディッシュの大脱走」という小説を執筆しつつ、昔思いを寄せた女性アーシュラとともに幸せに暮らすのだった。

“伝説のクローン少女と革命”(2144年)

ネオソウルで給仕係として働くソンミ451は、自分の境遇に疑問を持っていた。

というのも、ソンミ451は合成人間(クローン)であり、自分たちは純血種(普通の人間)によって支配されていたからだ。

しかし、ソンミ451は純血種が作った映画「カヴェンディッシュの大脱走」を見て、自分たちの境遇がおかしいことに気づく。

ある日、ソンミ451は革命軍のチャンという人物から脱走を助けられる。

そして、複製種である自分たちが「解放」された後どこへ向かうことができるのか…という答えを知って愕然とする。

複製種が解放されると、その先にあるのは複製種への餌となる未来だった。

自分たちが楽園と思っていた未来に絶望を感じたソンミ451は、全世界へと向けて演説をする。

そこに、政府軍がやってきて革命軍と激突。

革命軍が全滅し、ソンミも捕らえられて処刑されてしまうのだった。

“崩壊した地球での戦い”(2321年)

文明が崩壊した2321年。

ある島では、人喰い族の恐怖に怯えながら細々と暮らす民族がいた。

その中のザックリーという男は、自分の中にいる悪魔と戦いながら、日々を過ごしていた。

ある日、ザックリーの目の前で同じ民族の家族が人喰い族に殺されてしまう。

助けに行こうとしたところで悪魔の囁きが聞こえて、隠れるだけになってしまった。

そんな自問自答繰り返す日々を送っていると、旧時代の技術を持つレシエント族から、ある女性が島へとやってきた。

その女性はメロニムという名前で、島の人々が恐る「悪魔の山」へいく手がかりを追っていた。

明らかに怪しいメロニムをザックリーは忌み嫌っていたが、娘を病から助けてもらったのを期に、徐々に彼女と打ち解け、悪魔の山へと導いた。

メロニムの目的は、地球が汚染されているので、残った人々を助けるべく、悪魔の山にある施設から救難信号を別の惑星へと送ることだったのだ。

『クラウド アトラス』は、複数の物語が少しずつ噛み合っていく複雑な映画だった

というわけで『クラウド アトラス』を見終わった。

まず最初の感想としては、

「複数の物語が少しずつ噛み合っていく複雑な映画だなぁ」

という印象である。

うーむ、個人的にはそれなりに面白い映画だなと感じた。

なんだろ、いわば手塚治虫の『火の鳥』のような…。そんな感じである。

6つ目の物語である「崩壊した地球での戦い」が一番時代を感じるように思うのだが、実は最も未来の出来事の話である点など、まさに火の鳥の「未来編」のようである。

また、ゲームの「HORIZON ZERO DAWN」のような雰囲気さえ感じる。

全体的にはかなり複雑な作りだが、それぞれで多少噛み合っているのが面白いなと思う。

だが、ちょっとわかりにくいなという印象もある。

『クラウド アトラス』は、伏線という伏線がなさすぎるような気もする

個人的には『クラウド アトラス』はそれなりに面白い映画だったのだが、他の方のレビューを見ると低評価をつける方も散見される。

そういう方のレビューを見てみると、「話が薄い」などの意見が多かったが…確かになと思う。

『クラウド アトラス』をみる前の私のイメージでは、

「別々の物語が最終的に1つのものとしてなって、それぞれに伏線がある」

というような感じだと思っていた。

ちょっと違うかもしれないが、例えば「メメント」のような…ちょっと小難しいタイプの映画かなと思っていたのである。

確かに小難しさで言えばメメントっぽさはあったが、趣向としてはもっと壮大だった。

壮大なのはいいんだけれど、全体として「ちょっとしたアクセントが次の物語に続いている」という感じなので、どうにもつながりを感じにくいのである。

そういう点がおそらくマイナスに転じたのかなと思った次第だ。

『クラウド アトラス』を総合評価するなら?

『クラウド アトラス』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

個人的には面白いタイプの映画だなと思った。

こういう「次の世代に続いていく」というようなタイプの物語は好みなので、『クラウド アトラス』もそれなりに楽しめる映画だった。

人によっては低評価をつけるのもまぁなんとなくわかる気がする。

向き不向きがはっきり分かれる映画である。

『クラウド アトラス』はどんな人にオススメ?

『クラウド アトラス』は、SFが好きな人なら見ておいて損はない。

想像が膨らんでいくストーリー構成なので、飽きないだろう。

終わりに

『クラウド アトラス』についてレビューしてきた。

3時間近くある映画は個人的には敬遠しがちなのだが、今作は見てよかったなぁと思う。

っていうか、トム・ハンクスなどが何度も別の役で出てくるのって、撮影するの大変だっただろうなぁ…としみじみ思った。

お疲れ様である。