【ネタバレ感想】『奇蹟がくれた数式』は、ラマヌジャンの凄さをいまいち描ききれていない作品だった

ふぉぐです。

ついさっき、『奇蹟がくれた数式』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『奇蹟がくれた数式』ってどんな映画?あらすじは?

『奇蹟がくれた数式』は、2015年(日本だと2016年)公開のヒューマン・ドラマ映画。

監督はマシュー・ブラウン。主演はデーヴ・パテール、ジェレミー・アイアンズ。

あらすじとしては、「ラマヌジャンという実在した天才数学者の生涯を描いた作品」である。

インドで数学に熱心なラマヌジャンという青年は、インドで職探しをしていた。

自分の数学への探究心を武器に、様々なところへ職を探しにいくが、「出て行け!」と追い払われる毎日。

やっとの事で事務員に合格し、仕事をし始める。

ある日、ラマヌジャンは自分が直感で閃いて書いた数学の定理を、ケンブリッジ大学・トリニティ・カレッジの教授の元へ送った。

教授の名は「ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ」。

ハーディは、数学仲間のリトルウッドとともに、インドから送られてきたその手紙を読んだ。

そこには、凡才では書けないような定理がずらずらと書かれていた。

ハーディはラマヌジャンへ返信の手紙を送った。

そこには、「君をケンブリッジ大学へ招待する」という内容が書かれていた。

すぐにイギリスへ行きたいラマヌジャンだったが、インドといえばカースト制度がある。

「海を渡ってはいけない」という掟もあり、家族からは反対された。

しかし、唯一妻だけは、「私を呼び寄せてくれるなら、行っても良い」と良い、ラマヌジャンの留学を応援してくれるのだった。

ラマヌジャンはケンブリッジ大学へ留学するも、そこで待っていたのは慣れない文化と、人種差別的な言動、そして才能を認めない頭の凝り固まった教授たちだった。

『奇蹟がくれた数式』は、ラマヌジャンの凄さをいまいち描ききれていない作品だった

というわけで『奇蹟がくれた数式』を観終わった。

まず『奇蹟がくれた数式』を観て思ったのは、ラマヌジャンのすごさをいまいち描ききれていないなぁ…ということである。

私は「ラマヌジャン」という人物に対して、少しばかり予備知識があった。だから、なんとなくラマヌジャンがすごい発見をした数学者だというのはわかっていたし、『奇蹟がくれた数式』からその要素を汲み取ることはできた。

しかし、もしラマヌジャンという人物を1ミリも知らない人が『奇蹟がくれた数式』を観たとき、ラマヌジャンがどれだけすごい功績を叩き出した人物なのか…というのを理解しにくいような気がした。

ラマヌジャンの「天才ゆえの孤独感」みたいなものはちゃんと描かれているのに、

「ラマヌジャンがどれだけすごいことをしたのか」

をいまいち描ききれていないのである。

そこが個人的に不満だったかな…という印象だ。

なぜ、ラマヌジャンは数学に興味を持ったの?

『奇蹟がくれた数式』を観ていて不思議に思ったのが、

「なぜラマヌジャンは数学に興味を持ったのだろう」

というところである。

映画では全く描かれていなかったが、どうやらラマヌジャンは15歳の時に出会った数学の問題集に魅せられたらしい。それまでも数学に興味はあったけれど、問題集との出会いでますます数学に興味を持った…というわけだ。

そこらへんの描写が一切なく、ただただ「数学好きの青年」としてラマヌジャンが描かれているのが個人的に納得いかなかった。

尺の関係とか、事実関係の照らし合わせなど…実際の人物を元にした映画だから、色々とややこしいことがあるのかもしれないのは承知である。

だとしても、ラマヌジャンという人物のバックグラウンドをあまり描ききれてないなぁ…と思った。

ハーディの証明シーンも、個人的には物足りない

『奇蹟がくれた数式』で、ちょっと涙腺が緩むシーンがある。

それが、ラマヌジャンとともに定理の証明をやったハーディ教授の証明発表シーンである。

ハーディは、ラマヌジャンが導き出した定理の証明をしたあとに、ラマヌジャンへの想いを観衆にぶつける。

あのシーンは涙腺が緩むのだが、個人的にはちょっと物足りない気がした。

というのも、ハーディだけではなく、あの場にいた全員が「ラマヌジャンを認めた」という描写がなかったからである。

結局、ハーディがもう一度発表会場に足を運んで扉がしまって次のシーンへ移ってしまう。

あのあっけなさすぎる証明発表の終わり方が、個人的にはうーん…という感じだった。

ハーディ役を演じたジェレミー・アイアンズが渋くてかっこよかっただけに残念である。

天才の苦悩が存分に描かれているのは素晴らしい

ここまでちょっと酷評気味だったが、もちろん『奇蹟がくれた数式』は面白い映画であり、教訓めいたところもある。

それが、天才の苦悩である。

やはり、絶対数としてこの世には凡人が多い。これは世界の真理であり、変えられようの無い事実である。

そうなると、凡人には理解できないアイデアや発明を考える天才は、「変人扱い」をされてしまう。

『奇蹟がくれた数式』でもまさにそうで、ラマヌジャンを頑なに認めない教授がいたり、挙げ句の果てには「天才ドイツ野郎」なんて言って暴力を振るう兵士までいる始末。

天才には苦悩がある。

その苦悩をきちんと描いているところは素晴らしいなと思った。

数学関係で言えば、「イミテーションゲーム」でも天才の苦悩が描かれていたが、やはり天才は苦悩してしまう運命にあり、逆に苦悩があるからこそ天才なのかもしれない。

『奇蹟がくれた数式』を総合評価するなら?

『奇蹟がくれた数式』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

全体としてクオリティが高く、観ていて特にダレるシーンもない。

面白い作品なのだけれど、個人的にはラマヌジャンのバックグラウンドが存分に描ききれておらず、ちょっと感情移入しにくいかな…と思ったので星を1つ減らして星4評価とした。

また、先述したがラマヌジャンを1ミリも知らない人が『奇蹟がくれた数式』を観ても、あまり心が動かされないかな…というのも踏まえた。

だが、演出やテンポなど、小気味好く進んでいくのでとても観やすい映画だった。

『奇蹟がくれた数式』はどんな人にオススメ?

『奇蹟がくれた数式』は、まずは数学が好きな人に観てもらいたい映画である。

数学好きならおそらく一度は聞いたことがあるであろう「ラマヌジャン」が主役になっており、彼の生涯を描いた作品なので興味も湧くはずだ。

また、先ほども紹介した「イミテーションゲーム」のようなヒューマンドラマ系の作品が好きな人にもオススメしたい。

とても面白い映画である。

終わりに

『奇蹟がくれた数式』についてレビューしてきた。

余談だが、ラマヌジャンは本当にすごい数学者のようである。

彼が導き出した数学の定理は、今尚証明ができてないものもあるみたいである。

映画内でも、

「一生かかっても証明できるかわからない」

みたいなことをリトルウッドが言っていたけれど、まさにそれぐらいの未知な領域なのだろう。

このように天才的で宇宙的でもあるラマヌジャンだが、人間らしい一面があったりするのがホッとする。

これでまた、冷淡で冷酷すぎる人物だったら、ある種のカリスマ性が宿る…というか、人知を超えすぎて人が寄り付かないというか…笑。

妻思いなところがあったり、「なんで教授は私のことを見てくれないんです!?」と泣いてしまうところがラマヌジャンの可愛いところでもあり、天才ゆえの苦悩を感じさせるところだったのだ。

ラマヌジャンに、ますます興味が湧いてくる私であった。