ふぉぐです。
ついさっき『英国王のスピーチ』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみにネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
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『英国王のスピーチ』ってどんな映画?あらすじは?
『英国王のスピーチ』は、2010年(日本だと2011年)公開のヒューマンドラマ映画。
監督はトム・フーパー。主演はコリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーター、ジェフリー・ラッシュ。
あらすじとしては、「実在した英国王ジョージ6世の、吃音の苦しみを描いた作品」となっている。
ある博覧会の閉会式で、アルバート(ジョージ6世)は閉会演説をすることになった。父親であるジョージ5世が演説に出られなくなり、その代役としてアルバートが抜擢されたのだった。
しかし、アルバートには吃音症といって、言葉をうまく話せない言語障害の一種があった。
そのせいで、どもりながらスピーチをすることになり、アルバートは落胆し、国民も落胆した。
その後、アルバートは言語療法士を色々と試すが、どれも合わない。挙げ句の果てにはビー玉を口に詰め込んでスピーチの練習をするというとんでも療法士まで現れる始末。
アルバートは絶望していた。そこで、妃殿下であるエリザベスが、アルバートのためにと言語聴覚士の元へ秘密裏にお願いに行く。
その言語聴覚士は、オーストラリア出身の「ライオネル」という人物だった。
ライオネルは、これまでの言語聴覚士と違い、アルバートのことを「バートン」とあだ名で呼び、自分のことは「ローグ先生」ではなく「ライオネル」と呼ぶようにアルバートに支持した。
アルバートは、ライオネルとの最初の面談で、本の一節を音読するように言われる。
どもることがわかっているアルバートは拒否したが、
「あなたの声を録音するから、とりあえず音読してみて」
とアルバートに諭される。
嫌々ながら録音機の前に行くと、ライオネルはアルバートの耳にヘッドフォンをかけ、大音量でクラシック音楽を流した。
「これじゃ自分の声が聞こえないじゃないか!!」
と憤慨するアルバートだったが、
「自分の声なら、頭の中でも聞こえるはず。ほら、音読してみて」
とライオネルは諭した。
大音量の中で音読をするアルバート。
音読が終わると、
「だから俺はダメだって言ったんだ!!もうここには来ない!!」
といい、ライオネルの診療所を出ようとする。
とっさに、「この録音したレコードは無料ですから、記念に持って帰ってください」とライオネルはアルバートに録音したレコードをプレゼントする。
アルバートはそれを持って宮殿へと帰ったのだった。
しばらくして、クリスマスのラジオ中継があった。アルバートの父親のジョージ5世は、ラジオの前で演説をする。
その後、「お前も私のようにスピーチをしてみなさい。お前の兄はダメだ。あれは王位にふさわしくない」といい、次の王位継承はアルバートになることを示唆し、スピーチの練習を厳しくするのだった。
練習後、宮殿に戻ったアルバートはイライラしていた。
そして、ライオネルからもらったレコードをかけると、そこにはスラスラとどもることなく本を朗読している自分の声が入っていた。
アルバートは、ライオネルの元へエリザベス妃と共に向かうのだった。
『英国王のスピーチ』は、演技が光る名作感動映画だった
というわけで『英国王のスピーチ』を観終わったわけだが…。
もうね、まず言わせてほしい。
めちゃめちゃ感動したっ!!
めちゃくちゃ感動したわ…。
吃音症の苦しみ、人前で話すことを恐怖に感じてしまうアルバート…。
そのアルバートを支える妻のエリザベス。そして言語聴覚士のライオネル。
その全ての演技がよく、リアリティがあり、観衆の感情を高揚ともさせるし落胆もさせる。素晴らしい映画だった。
もちろん、よかったのは演技だけではない。
ストーリーの面白さ。そしてテンポのよさ。
ちょっとコミカルにも描かれている『英国王のスピーチ』は、コミカルなのだけれどそこに感動と憂鬱とが混在していて、人間心理を上手に描いている作品だなと感じた。
自分でも何を言ってるのかよくわからないけれど、とにかく面白く感動した映画だったのだ!!
高慢さの裏にある、純粋で壊れやすいガラスの心を持つアルバート
『英国王のスピーチ』の主役といえば、ジョージ6世ことアルバートなわけだが、このアルバートがとても高慢な人物である。
だが、ただの高慢ではない。
よく、映画には高慢すぎる悪役が出てくることがある。自分が特別偉くて、何をしても許される…みたいに思っているようなラスボスキャラだ。
それこそ、「レディ・プレイヤー1」に出てくるような高慢なボスみたいな。
アルバートは、そんな高慢すぎる人物ではないところに、人間味を感じるのだ。
高慢だけれども、その裏には純粋で壊れやすいガラスの心を持っている。
誰だって高慢になってしまうことはある。ましてや「王族」ともなれば、周囲への威厳なども関係してくるだろうし、「高慢」とはまたちょっと違う「貫禄」のようなものをつけなければならない。
そうなってくると、アルバートが吃音で悩んでしまうのも無理はない。
重厚で、どっしりと構えなければいけないという先入観を持っていたであろうアルバートにとって、吃音はただの敵であり、もっとも忌々しい存在だったわけだ。
『英国王のスピーチ』の終盤ではドイツと戦争になっていたが、アルバート的にはドイツなんかよりもいかに吃音という憎っくき相手と闘うのか…を念頭に置いていた。
それぐらい、吃音はアルバートの心に深い闇を作っていたのだ。
『英国王のスピーチ』では、そのアルバートの人間臭さがよく描かれていると思う。
ライオネルの前では高慢で、話を聞かないキャラだけれども、妻のエリザベスの前では弱みを見せる…。
素顔があまり見えない歴史上の人物にも、こんな一面があったんだなぁ…と、良い意味で親近感のわく映画だったのではないだろうか。
ライオネルは、アルバートの吃音と向き合ったのではなく、アルバートと向き合った
『英国王のスピーチ』において、私が感動したのが…ライオネルの療法である。
これまで、アルバートが試してきたであろう言語療法士や専門家などは、アルバートの吃音にだけ向き合って、アルバートと向き合うことはなかった。
その証拠に、映画前半でアルバートの口にビー玉を詰め込む療法が出てくる。
これはまさに、吃音にだけ向き合って、アルバート本人とは心を通わせようともしていないシーンと読み取れる。
それに対し、ライオネルはアルバートの吃音に向き合いつつも、ちゃんとアルバートと向き合っているのがよくわかる。
「ここでは対等な関係です」と前置きし、王族のことをあだ名で呼び、自分のことをドクターではなくライオネルと名前で呼ばせる。
もしこれが、「国王陛下」「ドクター」の間柄だったとしたら、映画内での大司教とアルバートのように、役職上だけの関係になっていただろう。
『英国王のスピーチ』が感動するきっかけは実はそこだったんじゃないかと思う。
ライオネルが吃音治療だけに注力していたのだとしたら、最後のシーンでアルバートが演説を成功させても感動を呼び起こすことはできなかっただろう。
ライオネルがアルバートと真剣に向き合い、吃音だけではなく「ともだち」として向き合っていたからこその感動だ。
吃音を治療するためには、吃音を治療することに注力するのではなく、心に語りかけなければいけない…。
「病は気から」なんて言葉があるけれど、ライオネルは吃音の本質を見抜いていたのである。
『英国王のスピーチ』を総合評価するなら?
『英国王のスピーチ』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。
個人的には満足いく映画だった。
テンポも良くストーリーも良い。アルバートの苦悩を上手に描いており、その周りの人たちの支えも上手に描いている。
ちょっとコメディ要素を入れたことで、よりテンポ感が増してサクサクと進んでいく映画になっているように思った。
また、BGMも個人的にはお気に入りである。特に、映画中盤でアルバート&エリザベスがライオネルの自宅へ出向いて、アルバートとライオネルだけで面談のようなことをするシーンがあるが、あそこでかかったBGMにちょっとウルっときてしまった…笑。
ただ、あえて批評をするとするなら…特に複線のようなものがあるわけではないので、淡々と進んでいく感は否めない。
だとしても、その短所を凌駕するのほどの面白さと感動だった。
文句なく、私としては星5である。
『英国王のスピーチ』はどんな人にオススメ?
『英国王のスピーチ』は、まずは今の自分に自信がない人にオススメしたい。
誰だって欠点はある。
『英国王のスピーチ』では吃音症だったが、人によっては緊張しいだったり、パニック障害や社会不安障害などを患っていることもあるだろう。
そのような、「自分はダメなやつだ」と思い込んでしまっている人には是非お勧めしたい。
きっと、観た人の背中を後押ししてくれる映画のはずだ。
終わりに
『英国王のスピーチ』についてレビューしてきた。
余談だが、『英国王のスピーチ』の最初のシーンで、大観衆の前でスピーチをするところがあるが、あんなん誰だって緊張してしまう…笑。
2万人がいるとしたら、4万個の目で見られていることになる。4万個の耳で自分のスピーチを聞かれていることになる。
アルバートにとって、常人ではわからないほどの苦悩と憂鬱との闘いがあったのだな…と思った。
とても良い映画だった…。