【ネタバレ感想】『スイス・アーミー・マン』は、理解に難しい奇抜な映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『スイス・アーミー・マン』を観終わったので、早速レビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、早速レビューに移ろう。




『スイス・アーミー・マン』ってどんな映画?あらすじは?

『スイス・アーミー・マン』は2016年(日本では2017年)公開のヒューマンドラマ・コメディ映画。

監督はダニエルズ(ダニエル・シャイナート&ダニエル・クワン)。

主演はポール・ダノ、ダニエル・ラドクリフ。

あらすじとしては、「孤島で見つけた死体が動き出して、スイス・アーミー・ナイフのようにたくさんの機能で助けてくれる」という奇抜なストーリーになっている。

無人島で首吊り自殺をしようとしていたハンクは、無人島の浜に死体が打ち上げられているのを見つけた。

なんとか人工呼吸で助けようとするも、死んでしまっているため助けることはできなかった。

すると、死体にガスが溜まっていたのか、たくさんオナラをするではないか。

そのオナラがどんどん大きくなり、なんと海を渡るぐらいの強烈なものになっていた。

置いてけぼりを喰らわないように、ハンクはその死体を必死に掴み、別の大きな島にたどり着くことに成功した。

洞窟で雨宿りをしていると、なんとその死体が話し始めたではないか。

さらに、死体が水筒のような役割をして、水を溜め込んでいたため、水不足も解消。さらには、落ちていたエロ本で勃起し、その勃起した方角が進むべき道を示唆してくれていたのだった。

死体の名前はメニーと言って、なんだか子どものようなことを言うのだった。

『スイス・アーミー・マン』は、理解に難しい奇抜な映画だった

『スイス・アーミー・マン』を観て思ったのは、まぁなんとも理解の難しい奇抜な映画だな…と言うことだ。

まず、初っ端からオナラを出しまくる点で笑ってしまった。

そして、話が進むにつれて、メニーが「セックス…したい!」と大きな声で言い出すのも面白かった。

とにかく下ネタ満載で、親と一緒には見れない映画だな…という感じである。

理解が難しい分、謎を解いていくとなかなかに深みのある映画だとも思うので、『スイス・アーミー・マン』を観て私が考察したことを順々に記していこうと思う。

【考察】『スイス・アーミー・マン』の「孤島」とは

『スイス・アーミー・マン』が始まった瞬間の舞台は絶海の孤島である。

この孤島、そのまま「孤島」と受け取ることもできるが、個人的には「行き場のない失恋感情」の表れなのかな…と悟った。

この時点ではただの孤島だし、ハンクの人間性についても謎なのだが、話が進むにつれてハンクのスマホの待ち受け画面に写っている女性(サラ)は、実は既婚者だということが判明する。

そして、ハンクはサラに喋りかけられないから、バスの中で隠し撮りして、その写真をスマホの待ち受けにしていた…というわけだ。

ここで見えてくるのが、ハンクの「絶望」である。

つまり、最初の舞台である「孤島」はハンクの精神状態のことを表していて、「自殺」というのは実際に孤島で遭難したからではなく、思い焦がれていたサラが既婚者だった…という強い絶望による自殺だったのではないだろうか。

詳しく言うなら、あの「孤島」はハンクの妄想や想像の中のものだった…ということだ。

【考察】メニーは、ハンクの「想い」の反映だった?

『スイス・アーミー・マン』で象徴的なのが、ハリーポッターでおなじみのダニエル・ラドクリフ演じる「メニー」である。

メニーは喋る死体なわけだが…。

メニーをそのまま「死体」と片付けるのはなかなかに安直すぎるような気もする。

というのも、メニーの言動を聞いていると、どうやらハンクの心の中を反映させているような感じがしてくるのだ。

特に私が象徴的だなぁと思ったのが、メニーとハンクが2人で森の中でバスの中を演出しているようなシーンである。

あのシーンで、ハンクがサラ役を演じ、メニーはサラに話しかける役だった。

だが、これもまたさっき言ったことにつながるわけだが、ハンクはサラをバスで隠し撮りするぐらい臆病な性格だったわけだ。

つまり、メニーが演じる「サラに話しかける役」というのは、ハンクの理想像だということがわかる。

また、メニーはとても自分の欲に従順である。

「セックス…したい!」とか、「ペニス、入れていい?」とか…マジで友達が言ってたら大親友になりたいぐらいのトンデモ発言が連発されていくわけだが、これもまたハンクの心の声と取るのが正しいのではないだろうか。

男なら、好きな女性とセックスしたいと思うだろうし、そりゃ〜ペニスも入れたい!って思うわけだ。自分の心の声を抑圧せず、素直に言いまくっているメニーは、ハンクの心の声だと捉えて問題ないはずである。

【考察】『スイス・アーミー・マン』における、「熊」の正体とは?

『スイス・アーミー・マン』には、熊が2度ほど出てくる。

1度目は、熊の姿そのものは見えず、熊の声が聞こえるだけ。

2度目は、ハンクとメニーがキャンプをしているところに熊が現れる…という感じである。

この「熊」の正体とはなんなのだろうか。

これは私の考えではあるが、この場合の熊は「社会」そのものではないだろうか。

まず1度目の熊が現れたところを振り返ってみると、熊の姿は見えず、ハンクはメニーを黙らせて急いで崖のようなところを落ちていく。

そして、「へへーん!!どうだ!」的なことを大声で叫ぶ。そしてその声がこだまする。

1度目の熊は姿が見えない。これは、ハンクが「部屋に閉じこもっている」ということの表れなのでは…と。

もっとわかりやすくいうなら、部屋に閉じこもっているハンクに、家族がドアをバンバン叩いて、「そろそろ出てきたら?」的なことを言っている感じなのでは…と。

つまりは社会が引きこもりを連れ戻しにやってくる…的な感じである。

だが、ハンクは見事にその場をすり抜ける。現実世界で考えてみれば、ドアのノックに対して特に反応せずにゲームでもやっていた感じではないだろうか。

そして、2度目の熊は姿を現してハンクの足を傷つける。

これは、引きこもりの部屋に荒っぽく侵入してくる家族の様を描いている…とも言えるように思う。

社会は、ハンクの足に傷を負わせる。傷を負ったハンクは、メニーの助けによって空を飛ぶ。

間一髪でその場を逃げ切った…という表れではないだろうか。

こうして考えてみると、熊は社会、そしてハンクを現実へ引き戻そうとする「何か」だということが推察できる。

【考察】サラの家、これまでのメニーとの思い出、そしてテレビ番組が示すものとは?

『スイス・アーミー・マン』後半ラストのあたりで、ハンクとメニーは森を抜け出してサラの家にたどり着く。

そして、サラの幼い娘に見つかって、サラが怪訝な顔をして2人に近づいてくる…というわけだ。

サラは救急車を呼んで、メニーは「死体」として扱われる。

ハンクは、やってきたニュースのテレビ番組に出演するが、メニーに特殊技能があることを言ったあと、サラに「これ、私の写真よね?」とスマホの待ち受け画面のことを問われ、ハンクはメニーの乗った滑車のような物を押して、また再び森へと戻っていくシーンだ。

ここで不気味なのは、サラの家があった場所からすぐそこの場所に、ハンクとメニーが過ごしていた「バス」を模倣した物や、人形のようなものがあったことである。

明らかにおかしいではないだろうか。

だって、すぐそこに民家があるのに、なぜあんな場所で2人で過ごしていたのだろう。

そして、テレビ番組がすぐにやってくるのもおかしい。

ここで私が思いつくのが、「ハンク」は犯罪者なのではないか…?ということだ。

どんな罪を犯したかまではわからないが、森で彷徨うぐらいに凶悪な犯罪を犯したのでは…と私は思っている。

その証拠に、ハンクの父親らしき人物がいて、その父親はハンクのことを見向きもせず、メニーのことをハンクだと思っていた。周りの人物もハンクをメニーだと思っていたのだ。

ということは…だ。もしかするとメニーというのは、本当にハンクが殺した遺体だったのかもしれない。

テレビ番組も、「生還した人がいました!」的な感じだったが、実は「逮捕しました!」というのが現実で、あれはハンクの妄想の中なのかもしれない。

こうして考えていくと、ハンクたちが過ごした「森」は実はハンクの家を現しているのでは…と。

【考察】メニーとは、なんなのか

ここまで、『スイス・アーミー・マン』について色々と考察をしてきて、「実はハンクは犯罪者で、メニーってのはハンクが殺した人物なんじゃね?」的な話もあったりしたが、ここで「メニーとはなんなのか」について触れていきたいと思う。

『スイス・アーミー・マン』を通して象徴的なキャラクターだったメニーは、「ハンクの分身」と考えるのが妥当である。

分身というより、遊戯王で言うところの「もう1人の僕」的な。

二重人格という話ではなく、精神の一部的な…。

自殺しようとしていたハンクを思い留まらせた一つの精神。それがメニーなのでは…という感じである。

あまりにボヤけた結論だが、これ以外に考えられそうもない…笑。

『スイス・アーミー・マン』を総合評価するなら?

『スイス・アーミー・マン』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

個人的には面白かったし、考察の余地がたくさんあってとても感慨深い映画だな〜という感じである。

だが、人によっては「何が面白いの?」と感じてしまうのもわからなくはない。

しかし、『スイス・アーミー・マン』のような映画の良いポイントは、人によって解釈が様々なところである。

例えば、(引き合いに出して申し訳ないんだけど)バイオハザードなどを見ても、人によって抱く感情が違うか?と言われるとそんなことはないと思う。

「ゾンビ怖い!アリスかっこいい!」

みたいな。

だが、『スイス・アーミー・マン』のような一見意味不明な映画では、

「は?金と時間の無駄!マジで損した!」という意見もあれば、

「これはとても面白い映画だ!コメディとして最高!」という意見もあるだろうし、

「この映画は考えさせられるな…どんな意味があのシーンに込められているんだろ?」という意見もあるだろう。

人の感性によって受け取り方が違う。

私的には、芸術というのは「人によって受け取り方が違う」からこそだと思っている。

「この映画では絶対に感動しろ!」と言われて観る映画はつまらない。

人によって受け取り方が違う映画こそ、芸術的に素晴らしい映画なのでは…と思っている。

だが、確かにわかりにくい部分もあるので、星を一つ落として星4評価とした。

『スイス・アーミー・マン』はどんな人にオススメ?

『スイス・アーミー・マン』は、哲学的な思考を持っている人にオススメしたい。

ぶっちゃけ、娯楽映画として『スイス・アーミー・マン』を観ると痛い目を見るだろう…。

ちょっと深く考察したかったり、考えることが好きな人にオススメしたい。

終わりに

『スイス・アーミー・マン』についてレビューしてきた。

余談だが、実は『スイス・アーミー・マン』は「熊が出てくる映画らしい」ということで見始めた。まさに「レヴェナント」と同じ感じで見始めたわけだ。

だが、クマが出てくるのはワンシーンのみ。クマ映画としては流石にオススメできないけれど、哲学的な映画としては面白いな…という感じだった。

また5年後ぐらいに『スイス・アーミー・マン』を見たら、ここまで述べてきた私の感想とは違った感想が出てくるかもしれない…笑。