【ネタバレ感想】『プライベート・ライアン』は、リアリティが凄まじい感動戦争映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『プライベート・ライアン』を観終わったので、早速レビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、早速レビューに移ろう。

『プライベート・ライアン』ってどんな映画?あらすじは?

『プライベート・ライアン』は、1998年公開の戦争映画。

監督はスティーヴン・スピルバーグ。主演はトム・ハンクス。

あらすじとしては、「4人兄弟のうち3人が死んだライアン兄弟。その末っ子であるジェームズ・フランシス・ライアンを本国へ連れ帰るための任務」というあらすじである。

ノルマンディー上陸作戦を成功に収めたアメリカ。しかし、ドイツ軍による攻防は凄まじく、アメリカ軍は多くの犠牲者を出してしまった。

そんな中、米陸軍参謀総長であるジョージ・マーシャルの元に、「ライアン家の兄弟が3人も死んでいる」という知らせが入る。

アメリカでは、一度5人兄弟を同じ隊に所属させてしまい、その5人が一度に戦死してしまった…ということがあった。

残された家族のことを考えると、兄弟がいる場合はせめて一人でも生還させたいということで、兄弟が多くいる場合は同じ隊に所属させないようになっていた。

しかし、ライアン家の4人兄弟のうち、3人が戦死してしまっていた。残るは末っ子の「ジェームズ」だけ。

総長のジョージ・マーシャルは、ジェームズ・ライアンだけは何としても本国に連れもどせ…という命令を前線に出した。

上官からライアン奪還命令を受けたミラー大尉はノルマンディー上陸作戦が成功に終わって3日後だったが、すぐに部下数名を連れてライアンを探す任務を始めた。

途中、ライアンと思しき人物に出くわすが、その人物は同姓同名の別人だった。

ミラー大尉は、ライアンを知っている人物に情報を聞き、ライアンが所属していた「第101空挺師団」のいる場所へ向かう。

第101空挺師団がいる場所についたが、ライアンは見つからない。戦死者の認識票も探すが、ライアンの名前は出てこない。

ミラー大尉は、第101空挺師団の面々に「ライアンを知らないか?」と聞くと、ライアンと面識のある人物に接触することに成功。ライアンは、どうやら混成部隊(部隊の人数が少なくなって、即席で作られた部隊)で前線の橋を防衛しているとの情報を得る。

すぐさま、ミラー大尉と部下たちはライアンの元へと向かうのだった。

『プライベート・ライアン』は、リアリティが凄まじい感動戦争映画だった

『プライベート・ライアン』を観てまず思ったのが、この映画はリアリティが凄まじいというところだ。

基本的に私は戦争映画をあまり観たことがない(あっても硫黄島の手紙とか、最近でいうとダンケルクぐらい)。

なので、『プライベート・ライアン』がどれほど「戦争感」がすごいのかを測り知ることはできないけれど、戦争映画素人の私でも「映像すげえな…」と思ってしまった。

足が吹っ飛んだり、それこそドイツ軍陣地を占領するために向かっていって腹を撃たれた衛生兵の「ウェイド」の、弾痕からどんどん血が噴き出している感じとか観ていてゾッとした。

すごくリアルだったし、Wikipediaでは『プライベート・ライアン』は60日でクランクアップしたとも書いてあった。

この映画を60日という異様な速さでとるスティーヴン・スピルバーグに脱帽である…。

天才かよ…。

トム・ハンクスの演技がかっこいい

『プライベート・ライアン』で目につくのが、やはりトム・ハンクスの演技だろう。

私の中でトム・ハンクスといえば、「フォレスト・ガンプ」や「ターミナル」みたいな、ちょっとおとぼけキャラ的なイメージが強かった。特にターミナルなんてあれはほとんどコメディ映画みたいなもんである。

そんなおとぼけイメージが勝手に私の中で広がっていたトム・ハンクスだったが、『プライベート・ライアン』を観てその印象がガラリと変わった。

めちゃくちゃかっこいい大尉だったからだ。

ミラー大尉の目指すところは、もちろんライアンの保護である。

しかし、最終的にアメリカが戦争に勝利しないことには、これまでの戦死者が報われない。

ミラー大尉の目指すべきところはもっと遠くにあった。その感じがかっこいい。

そして、ホーヴァスとライベンが言い争いをしているときに、

「今、賭金はどうなってる?」

といってその場を制止する感じもかっこいい。

トム・ハンクスってやっぱすげえ役者なんだなって思った。

アパムの心境

『プライベート・ライアン』で私がイライラした点が、ドイツ語とフランス語の通訳役に選ばれた「アパム」である。

前線の橋周辺の市街地でドイツ軍との戦いの最中、メリッシュがドイツ軍兵士と対決しているシーンがある。

アパムがいけば、メリッシュは助かる。でも、アパムは助けに行かなかった。いや、正しくは「行けなかった」だろう。怖いのである。「戦争」と、本気の殺し合いをしている人々が。

私は、映画を見ている最中、「なぜ助けに行かないんだよ!」と憤慨してしまった。アパムにイライラが募っていたのだ。

しかし、映画が終わってふと気づいたことがある。

もし、あそこでアパムがメリッシュを助けに行ったのだとしたら、それこそご都合主義的な映画になってしまう。詳しくは言わないけど、とあるゾンビ映画の2作目みたいな感じだ。

「戦争」である以上、誰もが死にたくないし「怖い」とい感覚は持つものである。

もし私がアパムの立場だったとしたら、それこそメリッシュが戦っている部屋には行けなかったかもしれない。

なぜなら、もしかしたら部屋に入った瞬間に的に撃たれて死んでしまうかもしれない。

メリッシュを襲っていた敵が、急にこちらに来て殺されるかもしれない。

「死」という恐怖を描くのに、アパムのあの葛藤しているシーンは最高の演出だったように思う。

おそらく、スピルバーグ監督はわざと、視聴者にイライラさせるためにあのシーンを盛り込んだように思うのだ。

あのシーンだけで、A級映画ではなくS級映画に飛び級した。

逃した捕虜もまた、人間である

『プライベート・ライアン』では、途中で逃した捕虜が、また敵サイドに加わってこちらを攻撃してくる…というシーンがある。

あのシーンこそまさに、人間の心理をついた素晴らしいシーンではないだろうか。

どれだけ捕虜が「アメリカ!好き!」と言っていても、所詮は助かりたいだけの口から出まかせである。

そりゃ自国が一番好きに決まっている。

しかし、捕虜が悪いわけではない。かと言ってミラー大尉達が悪いわけでもない。

それが人間であるし、逃した時のリスクは承知済みだったはずだ。

最終的に、あの捕虜はアパムによって撃ち殺されるわけだが…。

「国際法違反だ!」と言っていたアパムが殺すのは、なかなかの説得力あるシーンだ。

『プライベート・ライアン』を総合評価するなら?

『プライベート・ライアン』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

もうほんと、最後のあの…戦死者のお墓で「私は、しっかり生きているかな?」と妻に聞くライアンのシーンでホロっと泣いてしまったよ。

全体的にクオリティが高く、とても60日で撮ったとは思えない出来である。

それでいてダレる要素も個人的にはない。

人によっては最初のノルマンディー上陸作戦でギブアップしちゃうこともあるとは思うが、個人的にはあのノルマンディーのリアリティは凄まじいと思った。すごい。

個人的には星5評価以外ありえない映画である。

『プライベート・ライアン』はどんな人にオススメ?

『プライベート・ライアン』は、戦争映画好きの人にはまず見てもらいたい。

そして、感動要素もあるので、感動映画が好きな人にもオススメしたい。

ただ、「戦争映画」という側面上、グロテスクな描写があるのて、その点は注意を願いたい。

特に治療シーンなどはグロすぎて目を覆ってしまった…笑。

グロ系が苦手な人は注意が必要だ。

終わりに

『プライベート・ライアン』についてレビューしてきた。

余談だが、Wikipediaに興味深いことが書いてあった。

クランクイン直前にトム・ハンクスをはじめとした出演者たちは、リアルな演技をするために元海兵隊大尉のデイル・ダイの協力の下、ブートキャンプ同等の訓練を10日間受けさせられている。その内容は、教官がいきなり彼らに向かって発砲(空包)したり、当時の兵士達が携行していたものと同じ装備を背負って延々と行軍するといった厳しいものであった。ライアン二等兵役のマット・デイモンはこの新兵訓練のメンバーから意図的に外されている。これは10日間の過酷な訓練を通じて救出隊のメンバーにマット・デイモン=ライアン二等兵に対する反感を植えつけるためであった。訓練を終えたトム・ハンクスたちは、休む間もなく2週間にもおよぶ戦闘場面の撮影に臨んでいる。この過酷な進行によって撮影当初の和んだ空気が消えて荒んでいた彼らのところに、事情を知らないマット・デイモンが新兵よろしく颯爽と撮影現場に現れると、当初の意図通り険悪な雰囲気となった。これら一連の相乗効果によって演技はリアルで緊迫したものとなり、作品テーマの一部に組み込まれている。

(Wikipediaより引用:プライベート・ライアン

まぁ要約すれば、「ライアン役のマット・デイモンに実際に反感を植え付けさせて、リアルな芝居にしていた」ってことである。

たった60日という撮影期間の中に、こんなに組み込まれた計算高いスケジュールもなかなかである。

スティーヴン・スピルバーグ監督は本当にこう…まさにエンターテイナーの鑑だなぁと思った次第だ。