【ネタバレ感想】『男はつらいよ(第1作)』は、感動と笑いが織りなす名作映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『男はつらいよ(第1作)』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『男はつらいよ(第1作)』ってどんな映画?あらすじは?

『男はつらいよ(第1作)』は、1969年公開のコメディ映画。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に光本幸子。

あらすじとしては、「20年ぶりに故郷・葛飾柴又へ帰ってきた車寅次郎が、妹のさくらが結婚することを知り、散々なことをする」というストーリーである。

実の親父とケンカをして家出をした車寅次郎は、20年間故郷に帰ってくることはなかった。

しかし、ひょんなことから葛飾柴又へ帰ってきた寅次郎。

寅次郎は、親戚のおじちゃん夫婦、そして腹違いではあるものの実の妹である「さくら」と再開するのだった。

寅次郎がおじちゃん宅へやってきてすぐ。さくらに縁談の話がきていて、そのお見合いにおじちゃん夫婦が行くことになったが、二日酔いでお見合いどころではない。

そこで寅次郎が代役としてさくらのお見合いに同行することになる。

だが、下ネタや非常識な振る舞いで、あえなくお見合いは失敗。寅次郎はおじちゃん夫婦にどやされるも、「俺は悪かない!」と言い張りケンカになるのだった。

ケンカが原因で寅次郎は柴又を飛び出し、また放浪生活が始まるのだった。

ある日、御前様の娘である冬子からおじちゃん夫婦あてに速達が届く。

その手紙には、「京都で寅さんに会った」という内容が書かれていた。

「あいつは京都で何やってんだろうね」と話していると、そこに冬子さんが旅行から帰ってきた。

「今ちょうど噂をしてたところなんですよ」と話すと、なんと寅次郎も京都から一緒に帰ってきたのだった。

呆然とするおじちゃん夫婦。

寅次郎は、帰ってくるとすぐさくらを呼びにおじちゃん宅の裏庭へ足を運ぶ。

すると、さくらは工場の工員たちとギターを弾いていた。

実はさくらは、その工場の工員の1人である「ひろし」という青年と、お互いに惹かれあう仲になっていた。

寅次郎は、工員に「うちのさくらとお前らとじゃ釣り合わねえ」と暴言を浴びせる。

寅次郎に異議を唱えたひろしは、河原で寅次郎と2人で話し合うことになる。

『男はつらいよ(第1作)』は、感動と笑いが織りなす名作映画だった

というわけで『男はつらいよ(第1作)』を観終わったわけだが…。

『男はつらいよ』という映画は、まさにこう…義理と人情が渦巻く、人間の感情に訴えかける映画なんだなぁという感想を持った。

前半は笑いがてんこ盛り。ちょっと寅さんがいきすぎる場面もあるけれど、それもまた寅さんらしくて良い。

そして、観た人の大半が涙するであろう…ひろしの両親の結婚スピーチ。

寅さん側の盛り上がりとは対極で、結婚式中ずっと俯いているひろしの両親。

初めは「なんだ…貧乏人を冷やかしに来たのか」と思っていた寅さんだったが、スピーチを聞いて一瞬で自分が間違っていたことを認め、「おとっつぁん、おっかさん」と、その日初めて会ったひろしの両親に投げかけるのだった。

感動と笑い。相容れないような二つのことが、きちんと調和している良い映画だなと思った。

寅さんは、自分が悪いと認められないところに人間臭さがある

『男はつらいよ』の象徴的な人物といえば、誰がなんと言おうとも寅さんである。

まさか団子屋のおじちゃんを『男はつらいよ』で象徴的な人物とあげる人はいないだろう。寅さんほど、強烈に人間味がある人物に目がいかない人はいない。

「寅さん」というキャラクターが人々を惹きつけるのは、多くの人が寅さんらしさを持っているからである…と私は思っている。

寅さんには、こんな短所がある。

  • 自分が悪いと認められない
  • 目下の人にはすぐ態度がでかくなる
  • 言葉遣いが乱暴・汚い

しかし、これらの短所は寅さんだけではなく、多くの人間が持っているものである。

自分が悪いと認められない人物もいるし、目下の人にはすぐ態度がでかくなる人もいる。言葉遣いが乱暴で、汚い人なんてたくさんいる。

もちろん、これらを「容認しろ!!」と言っているわけではない。もちろんこういう短所は直すのが吉である。

だが、人というのは客観的に物事を見るのが極めて困難な生き物だ。

後になって初めて、「あの時の俺はこんなに言葉遣いが悪かったんだ」と気づくのである。ここになって初めて客観性を持つのだ。

寅さんは、そんな我々に「お前は俺みたいになるなよ」と投げかけてくれている気がする。

映画終盤で、寅さんはノボルにこんなことを言う。

「俺みたいになるな!甘ったれんじゃねぇ!!」

と。

寅さんもおそらく、さくらにひどいことをしたその瞬間に関しては、「あの時の俺は悪い奴だった」とは思ってないだろう。

しかし、後になって自分を客観的に見つめられるようになり、「アニキみたいになりてーんだ!」と言うノボルにバシッと一言放つのだ。

この人間臭さ。もちろん良い意味でだ。

自分が悪いとその場ではわからないし、客観的に見ることができない。

そんな寅さんが、優しくてかっこいいのだ。

『男はつらいよ』とは、一体何がつらいのか

『男はつらいよ』というタイトルに、ちょっと疑問を持つ人も多いだろう。

「『男はつらいよ』って、結局何がつらいの?」と。

ここで、私なりの解釈をしていこう。

まず、『寅次郎はつらいよ』というタイトルではなく、『男はつらいよ』という「大義」でのニュアンスに意味があるように私は思っている。

「寅次郎」だけの物語ではなく、「男」としての生き様を描いているのが『男はつらいよ』であり、そこには寅次郎を通した「男」のつらさが描かれている。

まず、『男はつらいよ』のお決まりのパターンとして、寅さんが美人のマドンナに恋して振られる。

男ならばほぼ経験があるだろう。

クラスのマドンナ、会社のマドンナ、近所に住むマドンナに恋をして、自分よりもかっこよくて世間体も十分にクリアするような男に破れる…という。

まずここが「つらい」。男ならなんとなくわかるあの感じが「つらい」。

そして、誰かに「お前が悪いんだ!」と言われた時に、反射的に「何をぉ!?」と言い返してしまうプライド。

自分が悪いのはわかってるのに、あえて「お前が悪い」と言われることにむかっ腹が立つあの感じ。

『男はつらいよ』は、寅次郎を主軸にした、世の男のつらさを代弁しているような作品なのである。

『男はつらいよ(第1作)』を総合評価するなら?

『男はつらいよ(第1作)』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

個人的には文句なし。1時間30分という「ちょっとした映画でも見ようかな」という時にサクッと見れる時間配分も寅さんらしく粋である。

それでいて、実は内容も濃い。

笑って感動してまた笑って感動する。1時間30分とは思えないぐらい濃密な時間。

「寅さん」という、世間的には非常識で「やべえ奴」にしか描けない物語である。

音楽面や登場するビールなども「時代」をとても感じるので、そういう雰囲気も含めて星5評価とさせていただこう。

『男はつらいよ(第1作)』はどんな人にオススメ?

『男はつらいよ(第1作)』は、日本人なら1度は見て欲しい映画である。

もちろん、好き嫌いは出てくるだろう。寅さんみたいな人間を快くは思わない人もいるはずだ。

だが、それらは映画を観終わってから判断すれば良い。

ぜひ、この1作目だけは観て欲しい。それぐらいの作品だ。

終わりに

『男はつらいよ(第1作)』についてレビューしてきた。

余談だが、『男はつらいよ(第1作)』は、今回が2度目の鑑賞である。

『男はつらいよ』シリーズは、実はここ最近見始めた映画だ。

これまで、「寅さん」というキャラクターについては知っていたし、寅さんと対をなすような作品である「こち亀」に関してはめちゃくちゃ読んでいるので、なんとなく『男はつらいよ』の存在だけを知るだけで、作品を見てくることはなかった。

しかし、大人になって『男はつらいよ』を見始めるようになり、

「ああ、こんなに面白い映画があるんだな」

と思った。

なんとなーく古い映画を避けていた自分を戒めたい。

だが、そんな私でも快く受け入れてくれるような寅さんの恰幅の良さ。

そんな寅さんに、惚れてしまいそうだ。