【ネタバレ感想】『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(第17作)』は、芸術家の悩みが露出する作品だった

ふぉぐです。

ついさっき、『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』ってどんな映画?あらすじは?

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』は、1976年公開のコメディ映画。男はつらいよシリーズの第17作目。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に太地喜和子。

あらすじとしては、「上野の飲み屋で飲んでいた寅次郎が、あるおじいさんと出会う。そのおじいさんは実は日本有数の画家だった」という物語である。

寅次郎は夢を見ていた。

おいちゃん、おばちゃん、満男、源公を食い殺した巨大なサメを釣り上げるため、さくらとともに船に乗っている寅次郎。

身内や知り合いが食い殺されたショックで幻覚を見始めたさくらは、船を歩き回っているところを巨大なサメに食われてしまう。

寅次郎はサメを釣り上げようとするところで、目がさめるのだった。

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満男の入学式の日だった。

とらやで揃ってお祝いをしようとしているところへ、寅次郎が帰ってくる。

満男に叔父ちゃんらしいことをしてやりたいとの思いで、ご祝儀袋にお金を包もうとしているところへさくらと満男が帰ってくるのだった。

帰ってくるや否や、さくらは寅次郎の顔を見て泣き出した。

先生に名前を呼ばれて満男が返事をすると、

「君は、もしかして寅さんのところの甥っ子?」

と聞かれ、それを聞いたクラス中の子どもたちや父兄がさくらの方をみて大爆笑を始めたことへのやるせなさだった。

寅次郎はそれを聞いて怒り、プイッと出て行ってしまう。

しかし、悪いのは寅次郎ではないということを電話越しに伝えたさくらのために、寅次郎は旅へは行かず、その日のうちに戻ってくると約束をしたのだった。

上野で1人で飲んでいると、無銭飲食で警察に通報されそうなおじいちゃんを見かける。

寅次郎は、そのおじいちゃんの飲み代を払い、その後2人で何軒か回った後にとらやへと連れてくるのだった。

おじいちゃんはなぜかおいちゃんやおばちゃんに偉そうな態度をとる。

挙げ句の果てには、とらや名義でうなぎまで食べてくるような始末。

流石にやりすぎだと思った寅次郎は、おじいちゃんに注意すると、おじいちゃんは申し訳ないという気持ちから、墨汁で紙にさらさらっと絵を描いた。

「この絵を神田の古本屋に持っていきなさい」

と言われ、しぶしぶ持って行った寅次郎。

古本屋に落書きのような絵を持っていくと、なんと7万円でその絵が売れたではないか。

話を聞くに、そのおじいちゃんは池ノ内青観という、日本でも有数の画家だった。

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(第17作)』は、芸術家の悩みが露出する作品だった

というわけで『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を観終わったわけだが…。

まず最初の感想としては、

「いつも以上にストーリーに重厚さを感じるなぁ」

という印象である。

それはおそらく、今作が男はつらいよの中でも結構長めの上映時間であることにも由来するのかもしれない。

だが、ストーリーの重厚さの一番のポイントは「池ノ内青観」に委ねられるだろう。

池ノ内青観と出会ったことで、寅さんは今作のマドンナであるぼたんと知り合える。

そして、極め付けは最後のシーン。

200万円という大金を詐欺で失ってしまったぼたんのために、青観が200万円相当の絵をプレゼントしたところである。

おそらく、青観は悩みに悩んでこの絵を描いたに違いない。

そんな、芸術家としての悩みが爆発するような…そんな作品である。

人情か、それとも信念か

今作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』では、芸術家としての生き方に異を唱えるような演出がされている。

詐欺によって200万円という大金を失ったぼたんのために、寅さんが青観のもとへ直談判しにいく…というシーンだ。

「先生、あんたが色付きの絵をチョチョっと描いてくれれば、それでぼたんを助けることができるんだよ」

しかし、先生はなかなか「うん」とは言わない。

なぜなら、先生には信念があるからだ。

芸術家である以上、金儲けのために芸術をするわけにはいかない。

芸術家が金に目が眩んだとするなら、それは芸術家として死んだことになる。

第12作のマドンナ・柳りつ子(画家)も、

「悪い作品はもちろん人に渡したくないけど、良い作品だとなおさら渡したくないの」

というセリフを口にする。

今作の青観もまさに同じ気持ちだろう。

現に、寅さんが「チョチョイと描いてくれよ」と言った事に対して、

「チョチョイと描くことなんてできないよ」

と反論する。

人情的に見れば、青観は敵として見なされてしまう。現に、寅さんは青観にボロクソなことを言って家を出る。

しかし、芸術家としての観点からすれば、青観の言っていることは何一つとして間違っていることはない。

むしろこの場合、寅さんの方が間違っていると言わざるを得ない。

芸術を生業としている人に対して、

「チョチョイと描いてくれよ」

というのは侮辱である。

さらに、寅さんが「同情さえしねーのか」と言ったことに対しても個人的には「どうなの?」と思ってしまった。

最終的に青観はぼたんへ絵をプレゼントするわけだが、もし寅さんにその場で絵を渡してそれを現金に変えたのだとすれば、寅さんは青観に味をしめることになる。

「金に困ったら、とりあえず先生に絵を描いてもらえば良いだろう」

と。

同情を武器にあのような態度をとる寅さんに、個人的にはちょっと引いてしまった。

「困ったことがあったら助け合う」というのは素晴らしいことだが、「同情」に関してはむしろ気持ち悪さを感じてしまう私である。

青観のところへは行かず、寅さんが自力でぼたんの問題を解決する方が、話としては良かったように思う。

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を総合評価するなら?

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』を総合評価するなら、星5中の星3評価である。

ストーリー的には面白いんだけれど、個人的には寅さんが青観宅へ直談判しに行ったシーンが気持ち悪く感じてしまったので、そこを加味して大幅マイナス減点である。

確かに、青観は寅さんに助けられたが、だからと言って「チョチョイと描いてくれよ」というのは勘違いも甚だしい。

「それが人情ってもんじゃないか」と言われそうなものだが、それは都合の良い人情ではないだろうかと私は思う。

私は寅さんが大好きだし、これまでの寅さんも面白おかしく見てこれたのだが、今作の寅さんに関しては厳しい意見を言わせていただきたい。

青観が大物だとわかった途端にとらやの面々の態度が変わる様も、悪い意味で人間臭さを演出している。

その点に関していえば、もしかすると山田洋次監督の世間に向けたアンチテーゼ的な意味合いが入っていたのかもしれない。

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』はどんな人にオススメ?

青観のもとへ直談判しに行くシーンは、個人的には寅さん史上最低のシーンだと思っているので、その点に関していえばオススメはできない。

しかし、全体としてみるならクオリティが高く、重厚なストーリーとして成り立っているので、見てみる価値は大いにある。

終わりに

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』についてレビューしてきた。

珍しく、映画を見ていたムカムカしてしまった…笑。いやはや、大人気ない。

そういえば、今作のマドンナ役である太地喜和子さんは、1992年に48歳という若さで亡くなられている。

1992年といえば、まだ男はつらいよシリーズが上映されているぐらいの年代なので、なんとなく寂しさを感じてしまう…。

太地喜和子さんにご冥福を。