ふぉぐです。
ついさっき、『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』を観終わったのでさっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
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『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』ってどんな映画?あらすじは?
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』は、1988年公開のコメディ映画。男はつらいよシリーズの第40作。
監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に三田佳子。
あらすじとしては、「長野県は小諸で出会ったおばあさん。夫と死に別れて寂しく暮らしているおばあさんの元へ、寅さんが訪ねていく。すると、女医さんがおばあさんを迎えにくる…」という物語である。
寅次郎は、信州は小諸(長野県)にやってきていた。
あてもなくとりあえずバスにでも乗ろうと思った寅次郎は、バス停で待っているおばあさんに次のバスがいつくるかを尋ねる。
すると、あと1時間後にしかこないことが判明。何気なくそのおばあさんと話したことがきっかけで、おばあさんの家に1泊だけ泊まることになるのだった。
次の日、朝起きるとおばあさんの家に未亡人に女医さんがやってくる。女医さんの名前は真知子。
おばあさんが病院に自分でくるというので待っていたけれどなかなか来ないので、自分から迎えにきたのだという。
寅次郎の「俺も一緒に行くから、おばあちゃん、病院へ行こう」という言葉で、嫌がっていたおばあさんが病院へ行く決意をする。
このことがきっかけで仲良くなった寅次郎は、その晩、真知子の家へとお邪魔になる。
ちょうど、早稲田大学へ通っている真知子の姪の由紀もやってきて、3人で楽しくおしゃべりをするのだった。
しかし、次の日になって寅次郎は東京へ帰る決心をつける。
急にいなくなった寅次郎を、真知子は不思議に思っているのだった。
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日(第40作)』は、勉強することの意義を考えさせられる作品だった
というわけで『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』を観終わった。
まず最初の感想としては、
「今作は、勉強することの意義を考えさせられる作品だなぁ…」
ということである。これに尽きるといっても過言ではないだろう。
今作がなぜ「勉強の意義」を考えさせられる作品なのか…というと、まず第一に満男が寅さんに「なんで人間は勉強するの?」と問いかけるシーンが大きいだろう。
寅さんは、満男の問いかけに対してかなり核心に近い答えを出す。
「人間、長い間生きてりゃいろんなことにぶつかることがあるだろう…俺みたいに勉強してないやつはさ、その場の雰囲気とかサイコロの目とかで決めるよりしょうがないんだな。ところが、勉強したやつはきちんと自分で筋道を立てて、はてこういう時はどうしたらいいんだろうと自分で考えることができるんだ」
と。
つまり、勉強の意義とは「自分で答えを導き出して、困難を乗り越えるため」である。
そういえば、第16作ぐらいでも、勉強の意義について寅さんが語るシーンがある。
「(勉強をする意義は)己を知るためよ」
このセリフは誰かの請け合いだった気がするのだけれど、これもまた見事に核心をついている。
ここまでが、今作が勉強をする意義について考えさせられる作品である理由の1つ目である。
2つ目として、真知子が実家で母親にグチグチと言われているシーンが感慨深い。
「我が娘ながら、夜も寝る間を惜しんで勉強して医学部に入ったのは誇らしいと思ったけれど、あなたと同じぐらいの知り合いの女性が小さい子どもを連れて歩いていたのを見て、なんでこうなのかしら…と思っちゃったわ。」
と。
おそらくセリフの端々は違うだろうが、こんなニュアンスである。
つまり、勉強ばかりしているのがあなたの幸せなの?幸せってもっと他にあるんじゃないの?という問いかけを母親はしているわけだ。
勉強の意義は人それぞれ違う。同じように、幸せの意義も人それぞれ違う。
そして満男の大学受験への意義も重なって、
「勉強する意義」
について考えさせられる作品だったなぁ…という印象を持ったわけである。
くるまやの面々と、寅さんのケンカは渋くなる
第30作ぐらいから、徐々に寅さんとくるまや(今作からとらやではなく「くるまや」に名前が変わっているので、こちらもくるまやとして話を進めていく)の面々が衝突することもなくなっていく。
もちろん、ちょっとした言い争いなどはあるものの、それこそタコ社長と寅さんの面白おかしいケンカは徐々になりを潜めていく。
それは、前作〜前前作ぐらいから、タコ社長役の太宰久雄氏が糖尿病のために出番が少なくなったり、また寅さん役の渥美清氏もカラダが思うようにいうことを聞かないのだろう。
今作では、男はつらいよの名物だった「ケンカ」がパッタリと途絶えてしまい、なおかつ寅さんが旅に行く時の…さくらに別れを告げる寂しいシーンもなりを潜めてしまう。
くるまやの面々がどんどん高齢化をしていっているのがわかる…そんな作品だった。
寅さんは、マドンナを諦める
今作でも寅さんは、いつものようにマドンナを諦める。
おそらく、マドンナである真知子が柴又へやってきた時…寅さんは薄々感づいたのだ。
真知子が、自分に少しばかり好意を持っていることを。
だから、真知子が「女であることを思い出す」というセリフを言った時、寅さんはどこかキョドッた表情を見せる。
そして、長野のおばあちゃんが寅さんに会いたい!と言っていたことを知ってすっ飛んで言った後、寅さんは由紀にだけ言葉をかけ、サラダを一口食べて旅へ出てしまうのだった。
寅さんは、その辺の察知能力だけは高い。そして臆病である。
だから、マドンナからそんな感情を少しでも察知したら、逃げてしまう。
寅さんの良い面でもあり、悪い面でもあるだろう。
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』を総合評価するなら?
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。
うん、まぁいつも通りと言ったところだろうか。
ただ、今作は全体としておとなし目の印象を受ける。先にも言ったが、そろそろ出演陣の高齢化が目立ってきているため、激しい演出が抑えられている…と言った印象である。
その分、どちらかというと渋めな…大人でアダルティーでダンディーな味わいが増した…とでも言っておこう。
特に、寅さんが真知子の家にはじめてきた時に帰るあのシーンなんかは、
「かっこいいなぁ寅さんは」
と惚れ惚れしてしまった。絶品である。
懸念点としては、今作はマドンナとの恋路がよくわからない感じになってしまっているので、そこを減点して星4評価とさせていただこう。
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』はどんな人にオススメ?
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』は、随所に短歌的演出がなされているので、短歌が好きな人にはぜひオススメしておきたい。
また、題名からもわかる通り、俵万智の「サラダ記念日」をモチーフにしている。
サラダ記念日ファンは一度見てみても良い作品である。
終わりに
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』についてレビューしてきた。
長かった寅さんとの旅も、ついに40作まできてしまった。
残りは特別編を含めて9つ。
本編としては後8つで終わってしまう。
前作の「終わりに」でも述べたような気がするが、なんだか終わってしまうのが寂しい。
後、「とらや」がくるまやに変わっているのもなんだか寂しい…。