【ネタバレ感想】『男はつらいよ 寅次郎恋歌(第8作)』は、理想と現実のギャップが辛い映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。




『男はつらいよ 寅次郎恋歌』ってどんな映画?あらすじは?

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』は、1971年公開の公開のコメディ映画。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に池内淳子。

あらすじとしては、「柴又に帰った寅次郎が、とらや夫婦と喧嘩。その後岡山へひろしの母親の葬式へさくらたちが行くと、寅次郎とばったり出くわすのだった」というストーリーである。

四国のある劇団の芝居を観にきた寅次郎。

しかし、客の入りが悪く、その日は休演になっていた。

宿まで送ってくれた劇団員の女の子にお金を渡し、「これで劇団の皆さんと一杯やんな」と言葉を添える寅次郎。千円を渡すつもりが五千円を渡してしまい、後悔するのだった。

柴又へ帰りたくなった寅次郎は、柴又へ帰郷することにするのだった。

柴又へ帰ると、いつものようにとらや夫婦と喧嘩。

帰ってきてすぐまた出ていくことになり、寅次郎はフーテン生活へと戻るのだった。

寅次郎が出て行ってすぐ、ひろしの元に電報がくる。

そこには、「母が危篤だから今すぐ帰ってこい」という父からの言葉が書いてあった。

ひろしとさくらはすぐに支度をし、岡山で隠居生活を送っているひろしの父の元へ出発する。

ひろしがいく頃には、すでに母は他界していた。

すぐに葬式が開かれたが、そこになんと寅次郎がやってきた。

ちょうど岡山へ旅にきていて、せっかくだから立ち寄ったのだという。

ひろしの兄たちと折り合いがつかず、すぐにその場を後にする寅次郎。

柴又へ帰ってからひろしの父へ電話を入れると、なんとひろしの父宅に寅次郎がご厄介になっていたのだった。

寅次郎は、ひろしの父から「人間は運命に逆らえない」という教えをもらい、その影響で柴又へ帰ってきたくなったのだった。

その頃柴又では、帝釈天そばにできた喫茶店ロークのマスターである六波羅貴子がとらやへと挨拶にやってきていた。

貴子は後家で小学3年の息子が1人。女手一つで息子を育てながら、柴又で喫茶店を開く決意をしてやってきたのだった。

貴子の挨拶が終わったのと同時に帰ってくる寅次郎。

いつものごとく慌てるとらや夫婦は、今回も嫌な予感がしていたのだった。

『男はつらいよ 寅次郎恋歌(第8作)』は、理想と現実のギャップが辛い映画だった

というわけで『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を観終わった。

まず正直な感想としては、

「理想と現実のギャップが辛いなぁ」

と思った。これはもちろん褒め言葉である。

今作では、かなり哲学的な話が出てくる。

ひろしの父親が寅さんに、

「10年ほど前かな…ある田舎道を歩いていた時の話だ」

と、人間の理想とする生活に対する持論を展開する。

ひろしの父親の理想としては、

「家で、テーブルを家族で囲みながら、ご飯を食べること」

ここに、人間としての意義があり、それこそが人間の理想とする生活であり幸せの象徴なのだ…と寅次郎に諭す。

寅さんはその言葉を真に受けるわけだが、自分の生きていく世界にそれが似合わないことは心の奥底でわかっていたに違いない。

恋心を抱いた喫茶ロークの若女将「貴子」との、最後に2人で話すシーンにその心境が映っていた。

貴子は、

「私も寅さんと一緒に旅に行きたいわ」

と言う。

寅さんも一瞬はその言葉を真に受けるが、貴子の元にかかってきた電話の内容を聞いて、すぐにその場を後にする。

「あ、大家さん?すぐに代金お支払いしますから…はい、ありがとうございます」

という貴子の声。

この言葉の裏に隠されている意味とは、

「私は旅に出かけるつもりはないよ」

ということなのだ。

確かに旅には出たいだろう。しかし、寅さんのように風の向くまま気の向くままに生活をしていくのはあまりに困難である。小学3年の息子がいることも現実問題としてある。

寅さんは、それらのことを一瞬で読み取った。

そして、

「俺と一緒にいたんじゃ、幸せにもなれない」

と思ったことだろう。

だから、とらやのおいちゃんに「またダメだったよ」と嘘をついたのだ。

あの状況では、まだ恋模様がダメと決まったわけではない。だが、寅さんは自分の身の上を計算し、貴子と結婚することがどんなに不幸とさせてしまうものかを知ったのである。

この、理想と現実との間にあるギャップの大きさは、「男はつらいよ」史上稀に見る、最大の哲学的視点だったのかもしれない。

ひろしの父と母、そして寅次郎とさくら

今作では、さっき紹介した「なぜ寅さんは身を引いたのか問題」の他に、数々の哲学的な視点が散りばめられている。

その一つが、亡き母への思いを父と兄の前で語ったひろしの言葉である。

ひろしは、父が知らないところで母が「私は豪華客船に乗って、胸の開いたドレスを着るのが夢だったの」と言っていたことを打ち明ける。

しかし、父と結婚したことで、その夢も諦めた…と母が言っていたことも告げるのだった。

それに対し、兄たちはひろしを責めるが、こと父に至っては特に何をいうでもなく、すっと自室へ戻っていく。

その場はそれで終わるのだが、後日寅次郎がやってきてひろしの父と話をしているときに、先ほどの「人間の運命の話(リンドウが咲き誇る田舎の家の話)」をする。

ひろしの母は「理想の現実の話」。

ひろしの父は「現実の理想の話」。

どちらも理想として成り立っているのだけれど、そこには大きな行き違いが発生しているのが手に取るようにわかる。

わかりやすく言うなれば、ひろしの母は「理想とするものがあった」。

それに対してひろしの父は、「家族でテーブルを囲うことが理想なんだ」。

ひろしの父の教えの根底には「人間は一人では生きられない」という考え方があるのである。

その話をフーテン暮らしの寅さんにすることにもまた大きな意義がある。

寅さんの生活は、ひろしの母の望んでいたような暮らしである。そして貴子が望んでいた暮らしでもあったし、言うなればさくらでさえも望んでいる(最後のセリフでそんな発言がある)暮らしだ。

しかし、その誰一人として寅さんのような暮らしをする者はいない。

ここで、ひろしの言っていたセリフに目が向く。

ひろしは、

「母は不幸だった」

と言わんばかりの罵詈雑言を父に浴びせかけた。

しかし、父がとらやへやってきて、

「私が寅次郎くんにお話ししました」

と告げた時、ひろしは思う。

「そうか、母は不幸というわけでもなかったのか…」

と。

人間の幸せは実は平凡な生活にこそあり、確かに豪華客船や胸の開いたドレスに憧れることはあるだろう。

だが、それらを全て叶えてしまった時、そこに幸せはあるのだろうか。その姿は本当に幸せなのだろうか。

さくらや貴子がフーテン暮らしをしたとするなら、寅さんは幸せを感じるだろうか…。

人々は「自由になりたい」と思いながらも、自らの手で実は幸せを掴んでいる。

そんな、山田洋次監督のメッセージが込められている作品だと思った。

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を総合評価するなら?

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

うーん、今作はこれまで見た「男はつらいよシリーズ」の中でも名作に分類されるのではないだろうか。

2時間近い尺で、見る前は「2時間近くもあるじゃん!ちょっと長いな」なんて思ってたけれど、見始めると濃厚なストーリーがずっと続くもんだから、飽きずに観てしまった。

哲学的なテーマでありながら、そこに笑いと感動と切なさが混在している、素晴らしい作品だったように思う。

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』はどんな人にオススメ?

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』は、哲学的なことを考えたい人にオススメである。

ここまでも散々紹介してきたけれど、今作はかなり哲学的である。

一見するとただのコメディなんだけれど、突き詰めていくと実は深いことを語っている話なのだ。

ぜひ、いつもと違う寅さんを感じたいあなたにオススメだ。

終わりに

『男はつらいよ 寅次郎恋歌』についてレビューしてきた。

余談だが、実は今作が初代とらやおいちゃんである森川信さんの最後の出演作となる。

次回作からは松村達雄さんが2代目おいちゃんとしてデビューをする。

男はつらいよシリーズでは、おいちゃんの役が2回変わる。

つまり、3代目までおいちゃんが変わることになるのだ。

たった8作までの出演となってしまった森川信さんだが、初代のおいちゃんとしてコミカルに演じてくれて、観ているこちらとしても楽しませてもらった。

なんだか、さみしくなるなぁ、おいちゃんよぉ。