ふぉぐです。
ついさっき、『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
Contents
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』ってどんな映画?あらすじは?
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』は、1976年公開のコメディ映画。男はつらいよシリーズの第18作。
監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に京マチ子。
あらすじとしては、「満男の家庭訪問にやってきた先生にウツツを抜かす寅次郎。しかし、その先生のお母さんに恋をするようになる」という物語である。
寅次郎は夢を見ていた。
アラビアのトランスという異名を持つ寅次郎の元に、「さくら」と名乗る女性が訪ねてくる。その女性は20年前に生き別れた兄弟を探している…ということを知ったところで、警察と銃撃戦になる。
寅次郎は、警察を撃ち殺し、すぐにどこかへ消えてしまうのだった。
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ある日、満男の家庭訪問があるということで、とらやは忙しくしていた。
さくら宅では狭すぎるというので、とらやで家庭訪問をすることにしたのだという。
先生を待っていると、ひょっこり現れる寅次郎。
そこに先生もやってきて、寅次郎は先生に一目惚れ。寅次郎がワイワイと家庭訪問中に喋り出し、満男のことを先生に相談することができないまま家庭訪問は終わってしまった。
そのことに対して怒ったひろしは、寅次郎にガツンと言う。すると、寅次郎はまたプイッとどこかへ行ってしまうのだった。
寅次郎は、長野県は別所温泉にいた。
すると、以前出会った演劇一座と偶然再会し、彼らの芝居を観にいくことになる。
寅次郎は演劇一座とともにホテルで宴会をするも、その料金を払うことができずに無銭飲食として逮捕される。
さくらはすぐに別所温泉へ行く。すると、警官と意気投合した寅次郎がいた。
さくらはすぐさま寅次郎を柴又へ帰郷させ、反省させるのだった。
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集(第18作)』は、いつもとは違う切り口での失恋話だった
と言うわけで『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』を観終わった。
まず最初の感想としては、
「今作は、今までとは違う切り口での失恋話だなぁ」
ということである。
これまで観てきた寅さん史上、もっとも悲しい別れ方である。
そう、死別である。
これまでのマドンナは、ほとんどが亭主をもったり、新しい土地を求めたり…ということが多かった。また、寅さん自身が「俺にはもったいねえ」という雰囲気を出して、暗に振ってしまうようなこともあった。
しかし、今作のマドンナはまた一味違う切り口で、寅さんの心を締めてしまう。
亭主を持って失恋をするのは、まだ救いがある。
「お、元気でやってるねぇ!」
なんて、いつもの寅次郎節でひょっこり現れたり、あとは「拝啓、〜〜様」というかしこまった手紙を出すことで、いつでも彼女たちの温度を感じることができるからだ。
死別をしてしまうと、もうその人には会うことができない。
温度を感じたくても感じることができない。それが一番重く苦しい。
そして、最後にマドンナ・柳生綾の娘・柳生雅子が寅さんに言った一言も切ない。
「きっと、母は寅さんのことを愛していたと思います」(ちょっとニュアンス違うかもしれないけど、確かこんな感じ)。
もし、柳生綾が生きているときに寅さんが一言でも、
「愛しております」
なんて言っていたとしたら、寅さん的にも後悔がなかっただろう。
寅さんの心境を思うと、重く苦しく、それでいて切ない物語だったなぁ…と思う。
フーテンの暮らしの運命
さっきも言ったように、今作はマドンナが亡くなってしまうということで、かなり重く苦しい物語に出来上がってしまう。
だが、マドンナが亡くなってしまったことにより、寅さんの抱いていた夢が潰えたのもまた、観客としては苦しさを感じざるを得ない。
柳生綾と柳生雅子がとらやに夕飯を食べにきた時、
「もし綾さんが店をやるなら、どんな店をするのがいいだろうか」
なんていう話題でとらやは大いに盛り上がる。
そんな中、母の病状を知っていたからか、浮かない表情をしている雅子。それに気づくさくら。
綾が亡くなり、寅さんが旅に出て行く時、さくらに言った言葉が切ない。
「綾さんがやる店について、考えてたんだ。花屋なんてどうかな。綺麗な花の真ん中にあの人がいればそれでいいんだ。仕入れとか運転とか、そういうのは全部俺がやってよぉ」
と。
そして、
「もしあの人が花屋をやっていたら、俺も旅暮らしはやめようと思ってたんだけどな」
的なことを言う。
その夢は叶わなかった。寅さんはフーテン暮らしを運命付けられているのである。
人生って、何だろうか
今作の大きなテーマの一つとなっている「死」。
もっと大きく考えてみれば、それは「人生」という壮大すぎるテーマにもつながる物語に発展する。
柳生雅子が、最後の方のシーンで寅さんに言ったセリフが印象深い。
「母は寂しい人生だったけれど」
なんて。
作中で、どうやら柳生家はかなりの名家だったらしい。
しかし、どんどん衰退をしていき、潰れかかっているところに戦争成金の男性と結婚させられた…というのが柳生綾の成り行きである。
このおかげで柳生家は没落せずに済んだが、その代わりに綾にとっては「幸せって何だろう」と考えざるを得ないような人生を送ることになる。
そして、結果的には病気に蝕まれたおかげで男性とも離婚をさせられてしまう。
ここまでくると、確かに雅子のいうとおり「寂しい人生」だったかもしれない。
だが、寅さんと出会ったことで、愛情について深く知ることになる。
これは私の勝手な妄想に過ぎないが、寅さんが最後に綾の前に現れた時、綾はすっかり安堵したのではないだろうか。
「最後に一目、寅さんに会いたい」
と思っていたのだ。自分の体だから、もう先は長くないことは重々わかっていたはずである。
そこに現れる寅次郎。
「お芋の煮っころがしなんて…食べたいわ…」
という綾のために、寅さんは急いで芋を買ってとらやに駆け込んでくる。
そうこうしているうちに綾は亡くなってしまうのだった。
綾は、「柳生家」という名門で生まれ育ったから、食事も1階級高めの物を食していたことだろう。
寅さんが柳生家に夕飯を食べに言った時、
「こんな料理が出てきたんだ」
と話すシーンで想像できる。
しかし、最後に綾が食べたいと言ったのは「芋の煮っころがし」だった。
偶然か必然か、寅さんの大好物である。
決して高級ではない、むしろ庶民的すぎる食材である「芋」を、最後の晩餐として選んだ綾。
そこに隠された監督の意図は、
「人生は、意外と普通なことが幸せだったりするんだ」
ということなのかもしれない。
寅さんが柳生家に食事をしてきて帰ってきた時、
「最後の晩餐(寅さんは最後の晩酌と間違えてたけど)」
について話をしていたのが、実は伏線となっていたのである。
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』を総合評価するなら?
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。
今作は、個人的にはかなり評価の高い作品になった…と思う。
これまでの寅さんシリーズでの最高傑作といえば、私の中では15作(リリー2度目の登場)なのだが、それに準ずるぐらいの作品だと思う。
だが、個人的にはちょっとダレる要素があったりしたので、その辺を加味したいところだが、それでもやっぱり全体的には高評価をせざるを得ないなと思ったので、星5評価とさせていただく。
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』はどんな人にオススメ?
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』は、寅さん史上でもかなり泣ける部類の映画になっているので、感動映画を欲している人にオススメしておきたい。
笑いの中にひょっこり現れる哀しさは、とても胸を打ってくる。
終わりに
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』についてレビューしてきた。
本日2019年5月15日にこの記事書いているのだが、つい3日前に今作のマドンナ役である京マチ子さんがお亡くなりになっていたそうである。
また、本日それについて山田洋次監督から、
「最新作に京マチ子さんを出演させている」
という発言もあったみたいで、なんとなく運命的なものを感じてしまった…。
京マチ子さんにご冥福をお祈りします。