【ネタバレ感想】『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、終盤に感動を持ってくる傑作だった

ふぉぐです。

先日、『男はつらいよ お帰り 寅さん』をみたので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだみていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』ってどんな映画?あらすじは?

映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』予告映像

『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、2019年公開の映画。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆、後藤久美子。

あらすじとしては、「サラリーマンを辞め、新人小説家となった満男。しかし、泉とは結ばれておらず、別の女性と結婚して子どもを授かりはしたものの、お嫁さんは亡くなってしまっていた。満男は伯父である寅次郎のことをふと考えてしまうようになっていた」という物語である。

サラリーマンを辞め、新人小説家となっていた満男。

順風満帆のように見える人生だったが、満男の嫁・ヒトミはすでに他界していた。

満男は一人娘のユリ(高校生?)を育てつつ、先行きの不安な生活を送っていたのだった。

そんなある日、くるまやで法事が行われることになる。

すでに他界しているおいちゃん・おばちゃん、そしてヒトミの写真を仏壇に上げつつ、御前様にお経を唱えてもらうのだった。

満男は、新作小説の評判が良かったこともあり、編集者の人たちから「次回作も早々にお願いできませんか」と言われていた。

満男の中に構想はあったものの、いまいち乗り気になれず、有耶無耶にしていた。

そんな中、「じゃあ、サイン会でもやりませんか?」との編集部の言葉に、嫌々ながらもサイン会を行うのだった。

すると、たまたま国際難民高等弁務官事務所の仕事の都合で日本に来ていた泉が、満男のサイン会のポスターを発見し、満男と泉は偶然の再会を果たす。

そして、満男と泉はリリーの経営する喫茶店に行き、リリーに伯父の寅次郎の話を聞かせてもらうのだった。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、終盤に感動を持ってくる傑作だった

というわけで『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観終わった。

まず最初の感想としては、

「終盤に感動を持ってくる傑作だなぁ…」

という感じである。

良い。素晴らしい。

ぶっちゃけ言うと、寅さんはもちろん…出てこない。

いや、厳密には昔の映像で出てくるんだけれど、現代のシーンに寅さんは出てこない。

それが物哀しく、満男の心情をうまい具合に表しているような気がした。

そして、最後の最後で寅さんが歌う主題歌。

私は映画館で見ていたのだが、周りの人々のすすり泣くような音が聞こえてきて、こっちまでもらい泣きをしてしまいそうだった。

わかる。あんな終わり方をされたのでは、誰だって涙腺崩壊だ。

まるでわんこそばのように、どんどんと押し寄せる歴代のマドンナたちのシーン。

そして寅さんが満男のために体を張って言った、

「私は伯父として、満男のやったことは誇らしいと思います」

との言葉。

満男はこれまでの伯父・寅さんとの思い出を振り返りつつ、小説を執筆する。

「お帰り 寅さん」。

お帰り 寅さんの題名の意味を考察してみる

『男はつらいよ お帰り 寅さん』…の題名について、おそらく今作を見た大部分の人は、

「どこがお帰りなの?」

と、ちょっと疑問に思っているのではないだろうか。

お帰りというよりも、どっちかというと「こっちが勝手に思い出している」というか。

寅さん自体は柴又に帰ってきていないので、『男はつらいよ お帰り 寅さん』という題名は的を外しているように思う。

しかし、実は『男はつらいよ お帰り 寅さん』という題名には深い意味が込められているのでは…と思ったので考察してみようと思う。

まず、第一に…おいちゃん・おばちゃんが亡くなっていることに着目したい。

今作では、おそらく時間軸的に第48作から寅次郎は帰ってきていない設定になっている。

つまり、おいちゃん・おばちゃんが亡くなっていることを、寅さんは知らないのだ。

おいちゃんが亡くなったとき、おばちゃんが亡くなったとき、おそらくさくらは「お兄ちゃんが帰ってこない」という想いにかられただろう。

しかし、今作の仏壇には寅さんの遺影が無かったことから、まだ寅さんは死んでいない(または、すでに亡くなってはいるがそれが家族には知らされていない)という状態なのだ。

満男はそんな、20年以上も帰ってこない寅さんに対して、希望を見出しているのではないだろうか。

「もし、ここにおじさんがいてくれたら…」

というのは、おじさんが生きているということを前提とした希望的観測にも捉えることができる。

そして、満男は小説家になる。

これはなぜかというと、私の考察では「満男という名前が世間で有名になれば、どこかにいる寅さんが自分を見つけてくれるかもしれない」と思ったのではないだろうか。

サラリーマンをやってても絶対に世間で有名にはなれない。

でも、世間で有名になるような才能は…ない。

しかし、小説なら…ということでやってみたら、これがヒットした。

だから、満男はサイン会を嫌々ながらもやったのではないだろうか。

結果的に泉と会うことになって、それはそれで良かったのかもしれない。

しかし、満男にとっては泉と会うこともうれしかったが、実は寅さんに会いたかったのだ。

寅さんに会いたかったが、泉と会った。泉は泉で問題を抱えていて、満男も一緒に泉の父のお見舞いに行く。

そして、泉の母が酔いすぎて自暴自棄になって車を飛び出してしまったとき、満男はこう諭す。

「おじさんなら絶対こうするよ!!」

と。

そして、泉とその母をなんとか送り届け、くるまやへと戻る。

次の日、空港を飛び立つ泉に、いつぞや寅さんが言っていた「愛してるんだったら態度で示せよ」という言葉を実行する。

実は元嫁が亡くなっていることを告げ、泉と満男はキスをする。

そして家に帰り、満男は思う。

「新しい小説、書いてみようかな」

と。

その題名は「お帰り 寅さん」。

愛も示せるようになって、自分を貫き通せることもできるようになった満男は、寅さんに会いたくなった。

一人前になったであろう自分を、寅さんに「お前も一人前になったな」なんて言ってもらいたくなった。酒でも交わしたくなった。

「お帰り 寅さん」なんていう、優しさのにじむようなタイトルにすれば、寅さんなら「こんな恥ずかしい題名にしやがって…!」なんてニヤニヤしながら帰ってくるかもしれない。

伯父さんに助けてもらうのではなく、一人の男として伯父さんに会いたくなった満男の心。

それが、「お帰り 寅さん」というタイトルの真髄ではないだろうか。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』の良い点

『男はつらいよ お帰り 寅さん』の良い点は、なんと言っても最後のシーンに集約されるだろう。

20年以上も会えていない寅さんが、今どこで何をしているか、もしかしたら死んでいるかもしれない…という状態。

最後のエンディングで、主題歌が流れるあの感動は素晴らしすぎる。

映画館で見たから…というのもあるとは思うが、あれは最高のエンディングだった。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』の悪い点

『男はつらいよ お帰り 寅さん』の悪い点は、ぶっちゃけない。

強いていうなら、終盤のシーンで小説を執筆するシーンと暗い部屋とのシーンが交互になるときに、目がチカチカする現象が起きてしまう。

あれだけ個人的には惜しいなぁ…と思った。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』を総合評価するなら?

『男はつらいよ お帰り 寅さん』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

過大評価だと言われようがなんだろうが、『男はつらいよ お帰り 寅さん』という作品は50作目として最高の出来になっていると思う。

これまでの49作分の積み重ねがあるから、これだけの感動を呼び起こすことができるんだなと感じた。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』はどんな人にオススメ?

『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、男はつらいよシリーズを1作でも見たことがある人にお勧めしたい。

男はつらいよシリーズを全作見なくても楽しめる構成になっている。

終わりに

『男はつらいよ お帰り 寅さん』についてレビューしてきた。

余談だが、寅さんはもう帰ってこない設定になったのかな…と思った。

だが、それはそれでフーテンらしくて良い。

寅さんらしい終わり方である。