【ネタバレ感想】『男はつらいよ ぼくの伯父さん(第42作)』は、寅さんのかっこよさが光る作品だった

ふぉぐです。

ついさっき、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を観終わったので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』ってどんな映画?あらすじは?

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』は、1989年公開のコメディ映画。男はつらいよシリーズの第42作目。

監督は山田洋次。主演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟。マドンナ役に後藤久美子。

あらすじとしては、「浪人中に後輩の女の子から手紙が来た満男。その女の子に恋をしてしまったため、勉強に集中できなくなり、家族との関係も悪くなる中、1人で旅へ出かける」という物語である。

諏訪家では、家族関係が悪くなっていた。

満男は浪人しているのに、勉強に集中している様子が見られず、なおかつさくらやひろしに向かって反抗的な態度を取る始末。

そんな反抗的な態度をとる自分に対し、頭ごなしに否定する父母からの縛りから抜け出したいと思っていた満男。

諏訪家がギクシャクしている最中、寅次郎が旅から帰ってくる。

寅次郎は、さくらから「満男の相談相手になってあげてほしい」と言われ、その日のうちに満男を連れて酒を飲みにいくのだった。

夜中にベロベロになって帰ってきた寅次郎と満男。

浪人生で未成年でもあるのに酒を飲んでベロベロになっている満男の様子を見たひろしは、頭にきて満男の頬をひっぱたく。

驚いた寅次郎はひろしに叩いた理由を聞くが、ひろしは寅次郎に反論する。

ベロベロに酔っ払った満男を連れて、諏訪一家は帰路へと着くのだった。

次の日、寅次郎はすぐに旅へ。自分のせいで満男の迷惑になってしまったことを反省し、満男への伝言をおばちゃんに頼むのだった。

満男は、後輩である「及川 泉」が忘れられなく、泉が住んでいる名古屋へバイク旅へと出かける。

もちろん、さくらとひろしには内緒で…。

『男はつらいよ ぼくの伯父さん(第42作)』は、寅さんのかっこよさが光る作品だった

というわけで『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を見終わった。

まず最初の感想としては、

「今作は、寅さんのかっこよさが光るなぁ…」

という印象である。思わず泣いてしまった。

印象的なシーンの一つに、寅さんが泉の伯父(高校教師)から説教をされた後に、

「私は、満男がやったことは間違いだと思っておりません。私は満男を褒めてやりたいと思います」

と満男をかばうシーンがある。

この寅さんのかっこよさ。満男がやったことは、まさに人情的な行動である。

高校教師…もとい、教育の現場において、満男のやったことは確かに悪い行動かもしれない。ぶっちゃけ満男は浪人生だしバイクの免許も持っているし、特に悪い行動でもないと思うのだが…。

高校教師は、寅さんに向かって、

「私は満男君のためを思って強い言葉で言ってしまったのです」

と言っていた。

しかし、それは欺瞞である。

その前のセリフに、

「私は人の子を預かっているのですよ?もし万が一のことがあったら、腹を切らねばならない」

とある。

つまり、この高校教師は、自分が責任を負いたくないから満男を「説教」という言葉で自分の思うようにコントロールしたいと思っていたに過ぎない。

満男が泉をバイクでホイホイ連れ出して、もし万が一のことがあったら責任を負うのは伯父である。

だから、伯父は泉の気持ちも満男の気持ちも考えず、ただ自分が責任を負いたくない…という一心で、満男にあれほど強い言葉で責め立てる。説教ではない。怒りである。自分の手を煩わせるな!という身勝手な怒りだ。

寅さんは、伯父の気持ちに気が付いた…かどうかはわからないが、人の身の上になって考えることができるスペシャリストだ。

「泉ちゃんは、見知らぬ土地に来てだいぶ困っていたんでしょう。満男がやったことは、間違いではないと思っています」

寅さんからすれば、満男は迷惑な存在だ。

なぜなら、満男がバイクで泉をホイホイ連れ出さなければ、この高校教師に自分が説教されることもなかったわけだ。

もし…もし、さくらやひろしが寅さんの立場にいたとしたら、

「申し訳ありません…!あとできつく叱っておきますから…!」

と言って、家に帰るなり満男を叱るのではないだろうか。憶測だけど。

だが、寅さんは満男を叱るわけでもなく、むしろ「よくやった」と尊敬した。讃えたのである。

そして、わざわざ泉の高校まで赴き、

「満男のこと、勘弁してやってくれよな」

と満男のケツまで拭いてあげるのである。

満男を「1人の人間」として、自分の思い通りに縛ろうとすることなく、本気で向き合っているからこその寅さんのセリフなのかなぁと思った。

そんな寅さんのことが、今作では「こんなにかっこいいのか…」と思ってしまった。

寅さんの身勝手さは、欺瞞のない身勝手さ

これまでの「男はつらいよシリーズ」を見ていると、

「寅さんってのは本当に身勝手だなぁ…」

と呆れるシーンが多々ある。それはもちろん、故・渥美清さんの演技のすごさを物語っているところでもあるのだが、実は寅さんの身勝手さは、欺瞞のない…純真無垢な身勝手さなのである。

今作でだいぶ「寅さんって本当は純粋な人なんだ」というイメージが持てた私だったのだが、その理由としてはさっきの「高校教師」と、そして「さくらとひろし」という相対する人々の存在があってこその結論である。

寅さんの身勝手さには、実は欺瞞がない。

「俺はこう思ってるんだ!だからこうしろ!」

という、本当に身勝手すぎる理由での身勝手さなのだ。

「自分が身勝手をしたいから、身勝手をする」。それは寅さん自身もわかっているし、人から「あれはひどいよ」と言われて、「確かにな…」と反省する。どこにも欺瞞がない。自分が身勝手であることを知らないわけではないのだ。

しかし、今作の高校教師の泉の伯父、そしてひろしとさくらを見ていると、随所に欺瞞的な身勝手さが垣間見える。

それは、さっきも解説したように「自分の保身のための身勝手さ」なのである。

まるで、「その人のためを思っている」かのように振る舞うのに、その本質にあるのは、

「自分が迷惑を被りたくない・自分が損をしたくない」

という身勝手な理由に他ならない。

高校教師は言わずもがな、「他人の子を預かっているのに何かあったらこっちが迷惑する」というのが身勝手な本質である。

さくらとひろしも、「自分たちの夢を満男に託しているだけで、実は満男の想いはさほど重要ではない」という身勝手さが出ているのである。

だから、満男は「監視されている」という言葉を巧みに使い、さくらの逆鱗に触れる。痛いところを突かれたさくらは「怒る」という選択肢を使い、満男を自分の思い通りに操ろうとするのだ。

つまり、「自分は身勝手ではない」と思いこみながら身勝手をしている。これが欺瞞なのだ。

このようにしてみると、実は寅さんの身勝手さは純真無垢であり嘘偽りがない。

身勝手をされた方も気持ちが良くなる…。それが寅さんなのである。

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を総合評価するなら?

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を総合評価するなら、星5中の星5評価である。

うん、個人的には傑作レベルかなと思う。ダレる箇所もなく、満男に焦点を当てた新しいタイプの「男はつらいよ」だったと思う。

また、今回のレビューでも述べたように、寅さんのかっこよさには惚れた。あんなことを私も言ってみたいものだ…。

全体的にサクサクと物語が進んでリズム感も良い。最後の門前町の人たちがくるまやに集まって寅さんに電話で声を聞かせるシーンも、なんだか涙腺をゆるくさせる。

個人的には30作以降の作品の中ではトップレベルの傑作なんじゃないかなと思った。

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』はどんな人にオススメ?

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』は、いつもの寅さんにちょっと飽きてしまった人にオススメしたい。

寅さんが恋の主役ではなく、今作では満男が恋の主役になっているため、フレッシュな恋愛ストーリーが楽しめる。

だが、そこは男はつらいよ。ちゃんと笑いも入れて寅さん節も大いにある。

一度見てみる価値のある作品である。

終わりに

『男はつらいよ ぼくの伯父さん』についてレビューしてきた。

どうやら、今作時点での渥美清さんの年齢は61歳だったようだ。

Wikipediaにはこうある。

この年から寅次郎が甥の満男の恋をコーチする役に回っているが、渥美の体調不良で派手な演技ができなくなったためである。また、渥美も撮影時に61歳になっており、この歳で振られ役を続けていくのも脚本上、酷であるという判断もあった

(Wikipediaより引用:男はつらいよ ぼくの伯父さん

なるほど、確かに61歳で振られ役というのはキツイかもしれない…。

見ているこっちも、なんだかズーンと重くなるような気がしなくもない…。

そう考えると、今作から恋愛要素は満男にシフトチェンジしたのは英断だったように思う。

次回作にも期待である。