ふぉぐです。
ついさっき、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観終わったのでさっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだ観ていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
Contents
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』ってどんな映画?あらすじは?
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、1997年公開のアニメーション映画。
新世紀エヴァンゲリオンの劇場版第2作目で、TV版の第25作〜第26作(最終話)をリメイクした作品。
監督は庵野秀明。
あらすじとしては、「全ての使徒を殲滅したネルフだったが、ついにゼーレがネルフ本部を武力占拠に踏み切る。ゼーレの目的はサードインパクトの発動で、その時がついに起こってしまう…」という物語である。
TVシリーズで、ネルフはついに第17使徒(渚カヲル)の殲滅に成功。
しかし、シンジは親友になりかけていたカヲルを自らが操縦するエヴァで殺してしまったことに絶望し、意気消沈状態だった。
一方、ネルフの作業員たちはついに17使徒を殲滅したことで、世界に平和が訪れるものだと思っていた。
しかし、そこにゼーレが武力を持ってネルフ本部を占拠しようと軍隊を送り込んでくる。
一気に戦場と化するネルフ本部。そう、使徒はまだ殲滅されておらず、実は人類こそが第18使徒のリリンだったのだ。
人間が人間と争うことに疑問を抱きながらも応戦するネルフ作業員たち。
葛城ミサトは、エヴァパイロットの3人の行方を心配した。
ゼーレの狙いは、エヴァンゲリオン、およびエヴァパイロットにあったからだ。
アスカは治療室で投薬を受けていたので、すぐにエヴァンゲリオン2号機へと搭乗させ、安全な海の底へと避難させる。
綾波レイの居場所は非公開になっており、行方は分からない。
碇シンジは、ネルフ本部内にてうずくまっているのを監視カメラから発見。
葛城ミサトは急いで碇シンジの元へといくのだった。
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、TVシリーズ版をわかりやすくしてくれた作品だった
というわけで『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観終わった。
まず最初の感想としては、
「テレビシリーズ版よりはわかりやすくなったなぁ…笑」
という印象である。
テレビシリーズ版の最終話は、はっきり言って理解するには難しすぎる内容となっている。
「人類補完計画」の実態そのものを全くつかむことができず、
「え?どういうことなの?」
という終わり方をしてしまう。エヴァンゲリオンに登場するキャラクターが空の上に集まり、シンジに拍手を送って、
「全ての子供達に、ありがとう」
というテロップで終わるのである。
これでは何が何やら分からない。理解するには難しすぎる。
だが、今回の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観て、「なるほど…」となんとなく「人類補完計画」の表層的な部分だけでも理解できた気がする。
次項で私なりに思った「人類補完計画」について解説していこうと思う。
人類補完計画とはなんだったのか?
おそらく、「人類補完計画とは?」と調べれば、多くの方が考察記事を書いておられるだろう。
ここでは、特になんの情報も得ず、私なりに解釈した「人類補完計画」について紹介していこうと思う。
テレビ版シリーズだけでは意味不明だった人類補完計画だったが、今作『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観てなんとなく実態が掴めた。
人類補完計画とは、「生きる辛さ」を極限まで削ぎ落とした人類の次のステップなのではないだろうか。
碇シンジとは
新世紀エヴァンゲリオンの主人公といえば碇シンジなわけだが、この碇シンジの性格を見るに、生きるのに向いてない性格なのは言うまでもないだろう。
有名なセリフで「逃げちゃダメだ」というのがあるが、これはまさに逃げたい時に発するセリフである。逃げ出したくない時に「逃げちゃダメだ」と発する人間はいないだろう。
また、エヴァンゲリオンでは碇シンジの心理的描写が数多くある。そのほとんどは、人からどう思われるかを気にしすぎているものが多い。
これらのことを考えると、碇シンジにとっての恐怖とは使徒そのものではなく、「他人」という心の中が見えない存在への恐怖なのだ。
碇シンジと対比するようなヒロイン、綾波レイ
が、ここで面白いのが、碇シンジと対比させるようなカタチで存在するヒロインがいる。
そう、「綾波レイ」だ。
綾波レイは、他人がどうあろうと知ったことではない…というようなスタンスを貫いている。しかし、心が冷たいわけではなく、他人のことを知らない・「感情」というものが分からない…という、ただそれだけの話だ。
だから、涙を流した時に「なんで私、泣いてるの?」や、「ありがとう…って言った…」と、自分が感情的になっていることへ驚きを隠せないのである(テレビシリーズ版でそのような描写がある)。
碇シンジ、そして綾波レイから考察する、「人類補完計画」
碇シンジ、そして綾波レイは、以下のような対比となる。
- 碇シンジ → 他人が怖い
- 綾波レイ → 他人は怖くない
簡単に言ってしまえばこうなるだろう。
この対比で見ると、人類補完計画がなんとなくわかってくる…というようなものではないだろうか。
今作の「まごころを、君に」のパートで、人間が液体に変わるシーンがある。
つまり、人類補完計画とは、人類を1つのものとして集合させてしまおう…という計画なのではないだろうか。
映画内でも、「自分と他人との境界線がなくなる」というような旨のセリフがあった。
シンジからしてみれば、この「境界線」を感じすぎていたからこそ、他人が何を考えているか分からない、もっといえば、他人の中にいる自分がどのような様相をしているのか…という、他者視点で自分のことを見つめすぎていたからこそ、本当の自分が分からない・自分が何をすればいいか分からない・怖い・という考えを持ってしまっていたのだ。
だが、シンジだけがこのような性格をしているわけではない。
ほとんどの人類は、おそらく他者からどう思われているかが気になるだろうし、そのせいで悩むことが多いはずだ。
そのわかりやすい例・感情移入をしやすい人物として、「碇シンジ」という人物に焦点を当てた物語になっていたのである。
これらのことを鑑みると、人類補完計画とは、人間関係で悩むことのない世界を生きるための、人類が目指すべき最高の形態…ということになるのかもしれない。
アスカの、「気持ち悪い」というセリフ
人類補完計画は、このように悩みのない世界を生きる上で最良の選択…かのように思うが、最後のアスカのセリフで崩れ去る。
シンジが、隣にいるアスカの首を締めようとしたところで、アスカがシンジの頬を撫でる。
そして、シンジがアスカの上で泣いているところで、
「気持ち悪い」
というアスカのセリフとともに、今作はエンドする。
もし、アスカがシンジと同じ一つの生命体となっていたのだとすれば、
「気持ち悪い」
というセリフは出てこない。なぜなら、アスカはシンジであり、シンジはアスカだからである。そこに境界線はなく、忌み嫌う理由もなければ好意を持つ理由もない。それは一つの生命体として成っているからだ。
しかし、アスカはシンジに向かって「気持ち悪い」と言う。
これは、アスカ特有の自我があることを証明している。
つまり、最後のシーンで監督が伝えたかったのは、
「人はそれぞれ個性があるんだから、それで良い」
という、それぞれの個性を尊重するべきだ…ということなのではないだろうか。
アスカの強烈すぎるキャラクターだからこそ、最後のシーンで映える演出だったように思う。
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を総合評価するなら?
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。
テレビ版を全話観終わってすぐに観たので、かなり面白い作品だったように思う。
テレビ版では人類補完計画の実態が掴めずじまいだったが、今作を観たことでなんとな〜く(あっているかは定かではないけど)わかったような気がした。
全体的に鬱描写が多いけれど、それもまたエヴァンゲリオンの良いところなのかもしれない。
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』はどんな人にオススメ?
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、テレビ版を全て見終わった人にオススメしたい。
テレビ版を見ないことには何が何やら分からないと思うので、まずはテレビ版の視聴をお勧めする。
終わりに
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』についてレビューしてきた。
エヴァンゲリオンはかなり難解なテーマで、どうやら旧約聖書的な意味合いが深いらしいが、今回のレビューではその辺の難しいところはバッサリ切って、自分が感じたことだけをつらつらと述べさせてもらった。
エヴァンゲリオン、見てみるとやっぱり面白いアニメだと思う。
話にグイグイ引き込まれていくし、何より伏線が張り巡らされていて「次どうなるんだろう?」とワクワクする。
まだ見ていない方は必見である。