【ネタバレ感想】『孤独なふりした世界で』は、考えさせられる内容のヒューマンドラマ映画だった

『孤独なふりした世界で』は、考えさせられる内容のヒューマンドラマ映画だった

ふぉぐです。

ついさっき、『孤独なふりした世界で』をみたので、さっそくレビューしていきたいと思う。

ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだみていない方はご注意を。

では、さっそくレビューに移ろう。

『孤独なふりした世界で』ってどんな映画?あらすじは?

『孤独なふりした世界で』は、2018年(日本だと2019年)公開のヒューマンドラマ映画。

監督はリード・モラーノ。主演はピーター・ディンクレイジ、エル・ファニング、ポール・ジアマッティ。

あらすじとしては、「人間がいなくなった世界で、孤独に生きるデル。デルのもとに、どこからきたのか、謎の少女がやってくる」という物語である。

人類が滅亡した世界。

その中で、ただ一人だけデルだけが生きていた。

デルは、毎日1軒ずつ、人がいなくなった家を掃除してまわり、その際に生活に必要なものを拝借する…という生活を送っていた。

また、デルは図書館で自分なりの仕事を見つけ、そこで人が来ないにもかかわらず働いていた。

そんなある日の夜、デルは人がいないはずの街で打ち上げ花火が上がっているところを目撃する。

そして次の日、街をいつものように掃除して回ろうとすると、道の障害物に衝突したと思われる車があり、中には少女がいた。

デルは少女を家に連れて帰り、看病をする。

少女が目を覚まして「ここはどこ?」と扉の向こうにいるデルに話しかけるが、デルは自分の姿をみられるのが怖いのか(身長が極端に低いのが由来しているだろう)、少女に自分の姿を見られないように、「ここから立ち去れ」と促す。

しかし、少女はデルをみると、「思ったほど小さくないのね」とフォローするのだった。

そこから、少女とデルは人のいなくなった街で一緒に生活するようになる。

しかし、ある日、少女の家族と思われる二人の人物が、デルの家にやってくる。

『孤独なふりした世界で』は、考えさせられる内容のヒューマンドラマ映画だった

というわけで『孤独なふりした世界で』を観終わった。

まず最初の感想としては、

「考えさせられるヒューマンドラマ映画だなぁ」

という感じである。

全体的に、謎の空虚感を感じる。

というのも、セリフがほぼない映画なので、まさに「観客が思ったように感じてください」というタイプのフィーリング的映画である。

そのためか、映像がとても映えているような気がした。

ストーリーとしては難解で、おそらくエンタメ映画としてみるとかなり肩透かしを喰らうだろう。

PS4ゲームでいうところのフォールアウト4的な世界観(ちょっと違うけど)があり、そういう類の映画かと思いきや、実は人間心理的な・内面的な様相を醸し出していて、とても奥深い内容になっている。

ストーリー的に面白いかというとそんなことはないのだが、「考える余地が多大にある」という意味で、とても面白い映画と言えるだろう。

『孤独なふりした世界で』を考察する

『孤独なふりした世界で』を考察していこうと思う。

まずポイントとなるのが、デルの置かれている状況だろう。

今作では、「なぜ人がいなくなってしまったのか」という理由が描かれてはいないが、その理由は大した問題ではない。

デルが人のいなくなった世界で生きている…という現在の状況自体に意味があり、そこに至るまでの経緯は必要がないのだ(なぜなら、この映画はエンタメ映画ではないのだから)。

デルは最初、実は孤独ではなかったのである。

というのも、デルにはデルなりの「繋がり」があったからだ。

それは例えばデルの実家の存在だったり、図書館での仕事。そして他人の家の掃除…など。

「誰もいない世界で、生きる意味を見つける」

というこの究極的な探し物の旅をすることで、デルは孤独ではなかったのだ。

しかし、デルが孤独を感じてしまう瞬間が訪れる。

それは、グレースが登場する…というところだ。

グレースが登場することで、「デル」という人物を認識してくれる存在が現れてしまう。

それまではデルは自分で自分を認識することで、「孤独」ではなく「一人」としての側面を強く意識していた。

「この世に自分以外の人間がいないのだから、一人を楽しもう」

というような、ニヒリズムの中にある(ニーチェ的に言うなら)超人思想のような様相さえ感じさせるのだ。

しかし、自分以外の人間が登場することで、「一人」の均衡は崩れ去り、人である以上「他人の存在によって孤独を感じる」という側面が徐々に顔を出してくるのだ。

それゆえに、デルはグレースがナイアガラの滝へ行こうとするのを引き留めた。

孤独になるのが怖かったからだ。

そして、グレースが家族(実際には家族のフリだったわけだが)に連れて行かれた際も、もしデルが本当に「孤独を愛している」のだとしたら、グレースを追うわけがない。

つまり、デルは孤独を愛していたのではなく、「一人なら仕方がない」という中で生きていたのだ。

その人間的に不完全なところが今作では如実に表現されており、全体を通して他者とのつながりによる孤独感を感じてしまうのである(人は、他者がいることで孤独にならない…というが、その逆である。他者がいることで孤独になるのだ)

デルの置かれた境遇、そしてなぜそのような状態になったのか(デルが一人で生きているのか)は何も問題ではないのだ。

この映画にバックグラウンドはいらない。

『孤独なふりした世界で』の良い点

『孤独なふりした世界で』の良い点は、やはり…心理的な側面を大胆に描いているところだろう。

全体的にセリフ数が少ないので、まさに映像と少しのセリフだけで登場人物たちの感情を察しなければいけない。

だが、今作はそれが巧みに行われているので、ある意味でわかりやすい映画になっているとも言える。

『孤独なふりした世界で』の悪い点

『孤独なふりした世界で』の悪い点は、特にない。

確かにエンタメ映画としてみるなら駄作に見えるかもしれないが、この映画にエンタメ性を求めてしまうのはナンセンスだと思う。

『孤独なふりした世界で』を総合評価するなら?

『孤独なふりした世界で』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。

個人的には楽しめる映画だった。

全体的に映像も綺麗で、セリフ数も少なく登場人物も少ない。

それゆえに物語にスッと入れるような…そんな映画だった。

ただ、中盤ぐらいにちょっとダレる箇所が何箇所かあったので、そこだけマイナスだ。

『孤独なふりした世界で』はどんな人にオススメ?

『孤独なふりした世界で』は、エンタメ要素を求めない、哲学的な映画が好きな人におすすめしておこう。

終わりに

『孤独なふりした世界で』についてレビューしてきた。

特に言いたいこともないのでこの辺で終わろう。