ふぉぐです。
ついさっき、『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』をみたので、さっそくレビューしていきたいと思う。
ちなみに、ネタバレ全開でレビューしていくので、まだみていない方はご注意を。
では、さっそくレビューに移ろう。
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『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』ってどんな映画?あらすじは?
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』は、1999年公開のアニメ映画。
監督は芝山努。主演は大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太。
あらすじとしては、「ドラえもんが出した宇宙ゲームで、ジャイアンとスネ夫がゲームの中から出られなくなる。そのゲームが宇宙人たちによって持っていかれてしまい、ドラえもんたちはジャイアンとスネ夫を助けるために宇宙へと向かう」という物語である。
ドラえもんが出した、宇宙が舞台のシューティングゲームで楽しんでいたが、不具合でジャイアンとスネ夫が出られなくなってしまう。
ドラえもんたちは二人が出てくる間に、部屋を宇宙空間のように無重力にする道具で遊んでいたが、窓が割れて大変な事態になってしまう。
荒れた部屋を片付けていると、宇宙ゲームがないことに気づくドラえもん。
ママに聞くと、宇宙ゲームをプラモの空箱と勘違いしたママが、ゴミに出してしまったらしい。
急いで宇宙ゲームを取り戻しにいくドラえもんたちだったが、なぜかゴミ出し場には宇宙ゲームの箱だけがなかった。
ドラえもんの、過去を映し出すカメラ道具で箱の行方を追うと、なんと不思議な光が箱を裏山へと持っていっているではないか。
ドラえもんたちはすぐさま裏山へ向かうと、その光が宇宙船へ乗っていくのを写真でみることになる。
ドラえもんたちは、急いでスネ夫とジャイアンのもとへと向かうのだった。
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』はラスボスの倒し方が呆気ない映画だった
というわけで『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』を観終わった。
まず最初の感想としては、
「ラスボスの倒し方が呆気ないな…」
という感じである。
今作では、謎の裏ボス的な立ち位置で「アンゴルモア」というキャラが出てくる。
これはまさにノストラダムスの予言に出てくる、世界を破滅させる王から取った名前だというが、このアンゴルモアが呆気なくやられてしまうのである。
ああいう、まさに謎めいたキャラクターはもう少しあっと驚くような倒し方をして欲しかったものだが、現実はそううまくいかないものである。
映画全体としてみるならば、若干タルい。
宇宙の星を漂流するのかなと思いきや、星単体でみるならば着陸した星は2つ。あとはガイアという、星に住めなくなった人々が集ったプラント的なところにいくぐらいである。
スピード感があるにはあるのだが、ちょっとセリフ回しがくどいところがあったりと、個人的にはまぁ普通評価というところだろうか。
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』の良い点
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』の良い点は、なんと言っても幻惑の星だろう。
地球についたかと思ったのび太たちだったが、そこは幻惑の星だったのである。
赤紫色をした、まるで木のような怪物が幻惑を見せ、のび太たちを食べようとする。
このシーンがかなり不気味で、おそらくみる人によってはトラウマになるだろう。
人をトラウマに陥れるレベルの名シーンである。
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』の悪い点
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』の悪い点は、前述のようにラスボスのアンゴルモアがすぐに倒されてしまうのが若干…消化不足である。
1999年といえば、まさにノストラダムスの大予言の年だったわけだが、そういう意味合いも含まれているのかもしれない。
「恐怖の大王?そんなの嘘っぱちでしょ」と言わんばかりに、アンゴルモアはやられてしまう。
リアンたちを超能力で操る点も、そういう意味で言うならノストラダムスの大予言によるメディアのマインドコントロール的な側面を表しているのかもしれない。
ただ、やっぱり倒されるのが早すぎる。
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』を総合評価するなら?
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』を総合評価するなら、星5中の星4評価である。
正直、面白い。
全体的に宇宙を舞台にしているからか、最後に地球に帰ってきたときの安堵感は凄まじかった。
また、「地球を大切に」と言うメッセージも込められていて、とても意義のある作品だな…とも思う。
次世代を担う子どもたちに、わかりやすく環境問題を知らしめているのは素晴らしい。
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』はどんな人にオススメ?
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』は、ドラえもんが好きな人におすすめしておきたい。
終わりに
『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』についてレビューしてきた。
特に言いたいこともないので、この辺で終わろう。