ふぉぐです。
前作「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」に引き続き、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3を観終わったので、ここで備忘録的な意味合い多めでレビューをしていきたい。
ちなみに、前作についてのレビューは「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2は第1部よりも心臓に悪い話だった」を参照していただきたし。
さらに、この記事はネタバレが壮大に含まれているため、まだ観ていない方はぜひ鑑賞後に再び戻ってきていただきたい。
それはまるで、デロリアンのように。
Contents
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3どんな映画?あらすじは?
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3は、1990年公開のSF映画である。
監督は前作・前前作に引き続きロバート・ゼメキス。
主演も同じくマイケル・J・フォックス。ドク役はクリストファー・ロイドである。
あらすじとしては、前作の続きになる。
1955年の雷の日。1985年に戻るマーティ(第1部)を見送った後のドクにマーティは再会する。
なぜなら、1885年の西部開拓時代にドクがデロリアンごと飛ばされてしまったからだ。
1955年のドクとともに、1885年に飛ばされたドクが埋めたデロリアンを掘り起こし、改造を施す。
そしてマーティだけ、1885年にタイムトラベルする。
1885年の西部開拓時代のアメリカで、マーティは自分の祖先に出くわしたり、ビフの祖先に馬で引き摺り回されたり。そこをドクに助けられたり。
と思ったらドクはクララという女性と恋に落ちたり…。
なんやかんやあって、最終的には1985年に戻ってこれるのだが、ドクはクララを助けるために1885年に留まる事になる。
「もうドクとは会えない…」と思って線路でジェニファーと一緒に悲しみに耽っていると、電車がいないのに遮断機が降りる。
すると、蒸気機関車型のタイムマシンとともに、ドク、そしてクララ、さらにはクララとドクの息子二人までもが乗っている。
ドクは、マーティとジェニファーに「未来は決まってない。決めるのは君たちなのだ」と言い残し、どこかに旅立つ。
旅立つ直前、マーティはドクに質問する。
「これからどこ行くの?未来?」
すると、ドクはこう答えた。
「いや、未来には…もう行ってきた」
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の特筆すべき点は、ラブロマンスである
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3は、これまでの話とだいぶ毛色が違う感じが個人的にした。
まず、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3は壮大なラブロマンス映画だったのだ。
未来から来た老人と、その老人に恋した婦人。
「私は…未来に帰らなければならない」と言うドクに、クララはからかわれていると思ってしまい、ドクの頬を思いっきりぶっ叩く。
ドクはそのまま酒屋に行き、朝までウィスキーを一口も飲むことなく、ウィスキーが入っているコップを手に持ってるだけ。
クララも、「ドクが私を嫌いになった」と思い込んでしまい、泣きじゃくる。
かと思いきや、クララはたくましい行動力を見せ、ドクを追おうとしてサンフランシスコ行きの列車に乗り込む。でも、後ろの乗客がドクの話をしているのを聞きつけ、列車を降りる。
で、まぁなんやかんやあって最終的には子どもまで作ってめでたしめでたし…。
ラブロマンスやないか!!
でも、実はバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3はこれでよかった気もする。
もし、あのままドクがクララを助けずにデロリアンに乗り込み、未来に帰っていたら…。
劇中で、「クレイトン峡谷」と言う峡谷が存在するが、これはどうやらクララの名字から取ったものらしい。
ここで私は映画を見ながら考えていた。
「もしかして…このままクララを見捨てて、クララを崖から落とすから「クレイトン峡谷」って名前になるんじゃ…」
と。
案の定、そんなことはなかった。そりゃそうだ。愛する人を見捨てて未来に戻ったところで、それはバッドエンドである。
ラブロマンスはやはり、最終的に結ばれなければならない。私はそう思う。
やっぱり馬糞が好き
ビフ・タネンの祖先は、どうやら馬糞に縁があるらしい。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3でも、マーティとの一騎打ちの後、馬糞に突っ込んでとんでもないことになっている。
「でた!お馴染みのパターン!!」
と、心のどこかで嬉しくなっている自分がいた。
ちなみにだが、PART2のとある場面で、ビフの先祖について伏線が張ってあるシーンがある。
西部開拓時代の有名人だったようだ。
ドクの「未来にはもう行ってきた」は、どういうことなのか
私は、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の中で、妙に印象深いなと思ったセリフがある。
それが、最後のドクのセリフである。
「未来には…もう行ってきた」
この言葉、なにやら相当深い意味が込められていそうなので、軽く考察をしてみようと思う。
恐らく、ドクの言う「未来」とは、そのままの意味で「未来」ではない。
それこそ、2300年に行ってきたとか、2887年に行ってきたとか…そう言う類の話ではないと思う。
なぜなら、ドクは「未来を知るなんてとんでもない!」みたいな発言をしている。それに、PART1〜PART2にかけて、すでにドクは未来へ行っている。
つまり、「未来に行ってもロクな事にはならない」というのは知っているのだ。
となると、考えられることはただ一つ。
ドクの言う「未来」とは、これまでの人生のことではないだろうか。
例えば、今のこの時点から1秒前は過去であり、1秒前から見て現在は未来になる。
たった1秒だけでも、「未来・過去」と言う概念を持つのである。
こう考えると、ドクは今まさに未来を生きていることになり、これ以上の未来には行かない…という想像を膨らませることができる。
自分でもなにを言っているのかよくわからないのだが、多分そんな感じだ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3を総合評価するなら?
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3を総合評価するなら、星5中の星5評価である。
それぐらい、個人的には面白かった。
やはりバック・トゥ・ザ・フューチャー。期待を裏切らず、最後の最後までどんでん返しの連続である。
特に、クララとドクを置いてマーティだけ未来に帰ってしまった時は、
「なるほど…そういう結末か…やられたぜ…」
なんて思っていた。
すると、まさかのドクとクララの間に子どもまでできているってんだから、大どんでん返しである。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3はどんな人にオススメ?
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3は、やはり前作を観た人にオススメしたい。
そうでないと、なにがなにやらさっぱりわからないからだ。
ただ、今作はラブロマンス的な意味合いが強いので、そういうのが苦手な人にはちょっとオススメできないかも…しれない。
終わりに
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3について、観た感想をまとめてみた。
これでバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズも終わりか…と思うと、なにやら寂しい気もする。
過去や未来をテーマにした作品は、観ていてかなり面白いので、これからもどんどんSF作品を観ていければな…と思った次第である。
では、この記事を5年後の私が読むことを想定して。